余計なお節介は金輪際一切いたしません
- 2017/04/06
- 09:04
最近辞めたことがある、タバコ?女?
タバコは元々吸わねぇし、女はこっちから願い下げじゃ、ボケ、そうじゃなく、人に対するお節介です。
誰かが仕事やお金に困っています、以前なら何かと協力をしていたのですが今はもう手を差し伸べることは致しません。
結局のところ、仕事なんか最終的に自分で決めるしかないわけですよ。例えば自分自身職業柄中小企業の社長さんと知り合いが多く、積極的にWEB戦略を考えているような会社さんですと、慢性的に人手不足だったりします。僕がすることはあくまでも求人サイトを作ったり、或いはその企業に応募したくなるような施策を提案するのみで、身近に就職が困っている人がいても紹介は致しません。
紹介した人が紹介した先でなにかやらかしたら紹介した俺の方がなんであんな奴を紹介したんだと恨まれることになるし、反対に紹介先が実はろくでもないブラック企業であれば(そういうことはないと信じたいが)、紹介した奴になんであんな会社を紹介したんだと恨まれる、であれば、初めからお互いに黙っていた方が当たり障りなくていいやと思っているんだよね。人間って大なり小なりなんらかの不満って抱くものであり、職場や人間関係に100%満足するということはありえない。俺なんかの感覚すると60%満足できていれば仮に残りの40%が不満でも十分御の字、及第点だろうと思ってしまうのだが、人間とは良さよりもとかくアラを探す生き物であり、99%満足していてもほんの1%の不満な部分に目が行き、大仰に騒ぎ立てるものである。聖人君子じゃあるまいし、100%満たされた人や職場などどこ行ってもないのである。
こっちはまったくの無報酬の善意で動いているのに恨まれたり、直接じゃなくとも紹介した会社(或いは紹介した人材)の悪口を言われればいい気はしない。なので、余計なお節介は一切しないと決めたのである。
金儲けの方法論なんかも然りで、俺の頭の中には恐らくこうすれば儲かるんじゃねぇの的な案が実は結構あったりします。合法的なものであったり、非合法的なものであったり、一人で出来るものもあれば複数の人数が必要なものもある。
それも教えません。別に出し惜しみしているわけではない。自分自身、金に執着心はあまりなく、自分の考えた方法で他人がいくら儲けたところで別に嫉妬などしない、せいぜい、一杯呑ませろやぐらいのものです。でも大抵の人ってこうすれば儲かりますよと言っても理由をつけてまずやらないものなのです。また、やったらやったで何かしらの不満というものはあるもので、就職の件同様、直接俺への悪口じゃなくとも、システム上の何らかの不満を吐露されればやはりいい気持ちはしない。
昔と違い、今はネットと本で情報なんてものはいくらでも入る時代じゃない。そもそも、人に頼るという時点で俺から言わすと情弱乙なのですよ。無理してインサイダー的なイレギュラーなものを探さなくとも金儲けのネタなど世の中にはいくらでもあるわけ、そういう情報収集の努力すらしないでなんとかなりませんかと言われたところで何とかするつもりもなく、テキトーにあしらって、そいつとは距離を置くことに決めたのである。
ただし、これが報酬が発生するビジネスなら別。誰か紹介してくれたら10万円払うよと言われればそれは請け負います。文字通りビジネスライクに割り切ってこっちも動けるからです。後々文句を言われたところで、人なり情報なりを金で売り買いしただけであり、こっちもビジネスと割り切っているため、心が痛むことはない。
金に執着しないと言っておきながらあれだが、こういった場合の諸悪の根源は結局のところ、「無報酬の善意」だと思うのです。
金が発生しないとどうしても人は真剣みがなくなる。真剣みのないものになんでわざわざ俺が有限である脳みそと時間を分け与えなくてはならんのかって話だろ。
つい先日も実はあった。知り合いにチラシの作成を頼まれた。知り合いのよしみで完全なる無報酬。制作時間は約3時間、人から仕事を請け負うときは原則時給3千円以下の仕事はしないと決めているのだがこの時ばかりは後々そのチラシが生きて、彼のためになればと思い、まったくの善意でデザインを作ったのですが、彼の答えは「やっぱ儲からなさそうなのでやるのをヤメるわ」、だったら初めから頼むなよ(その案を考えたのは彼自身であり、俺は単にチラシを作るだけで何も関わっていない)。今、年度末年度始めでこっちも忙しく、他にやることはいっぱいあるのだ。貴重な時間を割いて作ったものが水泡に帰す。これが最初から金を貰っているのであれば別です。多少なりとも報酬が発生していればその後彼が作ったチラシを生かそうが殺そうがそれは彼の自由、お蔵入りになったところでこちらもビジネスの一環としてやっただけと割り切れるので心情的被害はゼロだ。
この一件だけじゃなく、こんなことが昔からとにかく多い。
俺って、ちゃらんぽらんな性格ですけど、頼まれたことに対しては責任もって行動しようと思っており、その積み重ねで今があると思っている。だからこそ、人のために動くときは飄々としているようでも物凄いエネルギーを要す。そのエネルギーが報われれば別に無報酬でも構わないのであるが報われなかったとき、極論を言えば自分の命を切り売りしただけで何も得るものはない。
誤解されるかもしれないが守銭奴になろうなんてつもりはこれっぽっちもない。金が欲しけりゃ他人を当てにせず、自分の才覚で稼げばいいだけ。そうじゃなく、イチイチ報われない努力をするのがバカバカしいといっているだけだ。恩を仇で返されるとまでは言わないが、些細な一言が胸に刺さるのは事実だ。言っている当人に悪気はない分、考えようによっては根が深く、よっぽど悪質なのだ。そんな不毛な時間に付き合っているほど時間は余っていないので金輪際余計なお節介は一切しないと決めたのである。見損なったと思う人はどんどん消えてください。その方が僕的にはむしろ助かります。
タバコは元々吸わねぇし、女はこっちから願い下げじゃ、ボケ、そうじゃなく、人に対するお節介です。
誰かが仕事やお金に困っています、以前なら何かと協力をしていたのですが今はもう手を差し伸べることは致しません。
結局のところ、仕事なんか最終的に自分で決めるしかないわけですよ。例えば自分自身職業柄中小企業の社長さんと知り合いが多く、積極的にWEB戦略を考えているような会社さんですと、慢性的に人手不足だったりします。僕がすることはあくまでも求人サイトを作ったり、或いはその企業に応募したくなるような施策を提案するのみで、身近に就職が困っている人がいても紹介は致しません。
紹介した人が紹介した先でなにかやらかしたら紹介した俺の方がなんであんな奴を紹介したんだと恨まれることになるし、反対に紹介先が実はろくでもないブラック企業であれば(そういうことはないと信じたいが)、紹介した奴になんであんな会社を紹介したんだと恨まれる、であれば、初めからお互いに黙っていた方が当たり障りなくていいやと思っているんだよね。人間って大なり小なりなんらかの不満って抱くものであり、職場や人間関係に100%満足するということはありえない。俺なんかの感覚すると60%満足できていれば仮に残りの40%が不満でも十分御の字、及第点だろうと思ってしまうのだが、人間とは良さよりもとかくアラを探す生き物であり、99%満足していてもほんの1%の不満な部分に目が行き、大仰に騒ぎ立てるものである。聖人君子じゃあるまいし、100%満たされた人や職場などどこ行ってもないのである。
こっちはまったくの無報酬の善意で動いているのに恨まれたり、直接じゃなくとも紹介した会社(或いは紹介した人材)の悪口を言われればいい気はしない。なので、余計なお節介は一切しないと決めたのである。
金儲けの方法論なんかも然りで、俺の頭の中には恐らくこうすれば儲かるんじゃねぇの的な案が実は結構あったりします。合法的なものであったり、非合法的なものであったり、一人で出来るものもあれば複数の人数が必要なものもある。
それも教えません。別に出し惜しみしているわけではない。自分自身、金に執着心はあまりなく、自分の考えた方法で他人がいくら儲けたところで別に嫉妬などしない、せいぜい、一杯呑ませろやぐらいのものです。でも大抵の人ってこうすれば儲かりますよと言っても理由をつけてまずやらないものなのです。また、やったらやったで何かしらの不満というものはあるもので、就職の件同様、直接俺への悪口じゃなくとも、システム上の何らかの不満を吐露されればやはりいい気持ちはしない。
昔と違い、今はネットと本で情報なんてものはいくらでも入る時代じゃない。そもそも、人に頼るという時点で俺から言わすと情弱乙なのですよ。無理してインサイダー的なイレギュラーなものを探さなくとも金儲けのネタなど世の中にはいくらでもあるわけ、そういう情報収集の努力すらしないでなんとかなりませんかと言われたところで何とかするつもりもなく、テキトーにあしらって、そいつとは距離を置くことに決めたのである。
ただし、これが報酬が発生するビジネスなら別。誰か紹介してくれたら10万円払うよと言われればそれは請け負います。文字通りビジネスライクに割り切ってこっちも動けるからです。後々文句を言われたところで、人なり情報なりを金で売り買いしただけであり、こっちもビジネスと割り切っているため、心が痛むことはない。
金に執着しないと言っておきながらあれだが、こういった場合の諸悪の根源は結局のところ、「無報酬の善意」だと思うのです。
金が発生しないとどうしても人は真剣みがなくなる。真剣みのないものになんでわざわざ俺が有限である脳みそと時間を分け与えなくてはならんのかって話だろ。
つい先日も実はあった。知り合いにチラシの作成を頼まれた。知り合いのよしみで完全なる無報酬。制作時間は約3時間、人から仕事を請け負うときは原則時給3千円以下の仕事はしないと決めているのだがこの時ばかりは後々そのチラシが生きて、彼のためになればと思い、まったくの善意でデザインを作ったのですが、彼の答えは「やっぱ儲からなさそうなのでやるのをヤメるわ」、だったら初めから頼むなよ(その案を考えたのは彼自身であり、俺は単にチラシを作るだけで何も関わっていない)。今、年度末年度始めでこっちも忙しく、他にやることはいっぱいあるのだ。貴重な時間を割いて作ったものが水泡に帰す。これが最初から金を貰っているのであれば別です。多少なりとも報酬が発生していればその後彼が作ったチラシを生かそうが殺そうがそれは彼の自由、お蔵入りになったところでこちらもビジネスの一環としてやっただけと割り切れるので心情的被害はゼロだ。
この一件だけじゃなく、こんなことが昔からとにかく多い。
俺って、ちゃらんぽらんな性格ですけど、頼まれたことに対しては責任もって行動しようと思っており、その積み重ねで今があると思っている。だからこそ、人のために動くときは飄々としているようでも物凄いエネルギーを要す。そのエネルギーが報われれば別に無報酬でも構わないのであるが報われなかったとき、極論を言えば自分の命を切り売りしただけで何も得るものはない。
誤解されるかもしれないが守銭奴になろうなんてつもりはこれっぽっちもない。金が欲しけりゃ他人を当てにせず、自分の才覚で稼げばいいだけ。そうじゃなく、イチイチ報われない努力をするのがバカバカしいといっているだけだ。恩を仇で返されるとまでは言わないが、些細な一言が胸に刺さるのは事実だ。言っている当人に悪気はない分、考えようによっては根が深く、よっぽど悪質なのだ。そんな不毛な時間に付き合っているほど時間は余っていないので金輪際余計なお節介は一切しないと決めたのである。見損なったと思う人はどんどん消えてください。その方が僕的にはむしろ助かります。