「モンゴルに帰れ」はヘイトか否か?
- 2017/04/01
- 12:02
照ノ富士が琴奨菊を破った14日目の取り組みが物議を醸している。
当事者である照ノ富士が立ち合いで変化し、はたき込みで琴奨菊を破ったあの一戦、大関らしからぬ消極的な取り組みから端を発した、「モンゴルへ帰れ」コールがヘイトスピーチに当たるのではないかと物議を醸しているのである。
まず、稀勢の里の怪我ばかりが今場所クローズアップされますが照ノ富士も実は満身創痍、左足が思うように動かないと、場所後に報じられた。だからこそ、消極的な相撲になってしまったと、そこは認めるべきでしょう。また、照ノ富士が本割、優勝決定戦、二番とも稀勢の里の怪我をあえて狙わなかったのは称賛に値します。結果論かもしれませんが左肩に張り手一発を入れたら風向きは大きく変わったと思う。さすがの横綱も痛みに耐えきれず崩れ落ちたことでしょう。もっとも、そうして勝ったとあれば卑怯者のそしりは免れないわけで、やはり後々のことを考えたらやはり正攻法で行くしかなかったのかなとも思います。
さて、問題となっている「モンゴルへ帰れ」がヘイトに当たるか否かですが、結論から言えばヘイトスピーチには当たらんだろうね。
例えばサル顔の人に向かって「動物園に帰れ」やバナナを咥えてウッキーなんていえば、それはヘイトです。だって動物に例えている時点で小馬鹿にしているのは明らかです。
ただ、この辺も実は微妙で、走るのが得意なアスリートを「カモシカのような足」と形容することがありますがそれは賛辞であってヘイトではない(と考えられる)。仏の前ではサルが劣り、カモシカが尊いなんてことはなく、どちらも平等な存在でありますが、一般的にサルという生き物は人間より劣った存在であると認識されておりますからそこはやはりヘイトスピーチに当たると解釈して問題なかろうかと思います。
では、「モンゴルに帰れ」ですが、なぜこれがヘイトに当たらないかといえばですね、このブーイングを叫んだ人がそこまで認識していたか分かりませんけど、相撲というものはある意味日本文化を象徴するものでしょ。そのサークル内の住人である以上、帰化云々は別にして少なくとも髷を結って相撲を取っている間は日本人に成り切らなくてはならないわけですよ。それが嫌なら初めから日本で相撲なんか取るなって話でしょ。裏を返せば、照ノ富士を日本人として認めているからこそ、土俵に上げてやっているというのが相撲協会、ファン、共通の道理になるわけです。
その道理は、「日本人は日本人らしく卑怯な振る舞いをしてはいけない」という暗黙の了解もとで成立している。
左足がそこまで痛いとは誰も思っていないから、見ていた人は照ノ富士が賜杯に目がくらみ、ついつい勝ちに行って卑怯な真似をしたというふうに映ったわけだ。日本人らしく正々堂々と真っ向勝負をすることこそが美学の大相撲に於いて、卑怯な振る舞いというのは到底許されず、この勝てばどんな卑怯なことをしても構わないということをいったん認めてしまうと、ファン離れを起こし、それはもはや国技自体が成立しなくなってしまう。だからこそ、「日本人らしく」というアイデンティティは何よりも先に担保しなくてはならないと思うのです。
もし、「モンゴルに帰れ」を発言した人を擁護するのであれば照ノ富士を日本人と同じ力士と認めていたからこそ、どうしても裏切られた感は強く、その忸怩たる思いに耐えかねてついつい発してしまったと、そう解釈すれば案外この問題はすんなりと片付くと思いますがどうでしょう?これって都合良すぎですか?
そこまで深く考えてはおらず、単純に外国人力士憎しで帰れバカヤローといった可能性も否定できませんけどね。むしろ大阪のおっちゃんだし、そっちの方が大きいか(笑)。
ちなみに、稀勢の里が同様のことをして、「茨城に帰れ」とブーイングすると、これもヘイトに当たるんですかねぇ?
なお、個人的には照ノ富士関、好きな力士の一人です。あのふてぶてしい勝負師然とした面構え、腑抜けな日本人力士より、よっぽど日本人らしいとさえ思っております。
当事者である照ノ富士が立ち合いで変化し、はたき込みで琴奨菊を破ったあの一戦、大関らしからぬ消極的な取り組みから端を発した、「モンゴルへ帰れ」コールがヘイトスピーチに当たるのではないかと物議を醸しているのである。
まず、稀勢の里の怪我ばかりが今場所クローズアップされますが照ノ富士も実は満身創痍、左足が思うように動かないと、場所後に報じられた。だからこそ、消極的な相撲になってしまったと、そこは認めるべきでしょう。また、照ノ富士が本割、優勝決定戦、二番とも稀勢の里の怪我をあえて狙わなかったのは称賛に値します。結果論かもしれませんが左肩に張り手一発を入れたら風向きは大きく変わったと思う。さすがの横綱も痛みに耐えきれず崩れ落ちたことでしょう。もっとも、そうして勝ったとあれば卑怯者のそしりは免れないわけで、やはり後々のことを考えたらやはり正攻法で行くしかなかったのかなとも思います。
さて、問題となっている「モンゴルへ帰れ」がヘイトに当たるか否かですが、結論から言えばヘイトスピーチには当たらんだろうね。
例えばサル顔の人に向かって「動物園に帰れ」やバナナを咥えてウッキーなんていえば、それはヘイトです。だって動物に例えている時点で小馬鹿にしているのは明らかです。
ただ、この辺も実は微妙で、走るのが得意なアスリートを「カモシカのような足」と形容することがありますがそれは賛辞であってヘイトではない(と考えられる)。仏の前ではサルが劣り、カモシカが尊いなんてことはなく、どちらも平等な存在でありますが、一般的にサルという生き物は人間より劣った存在であると認識されておりますからそこはやはりヘイトスピーチに当たると解釈して問題なかろうかと思います。
では、「モンゴルに帰れ」ですが、なぜこれがヘイトに当たらないかといえばですね、このブーイングを叫んだ人がそこまで認識していたか分かりませんけど、相撲というものはある意味日本文化を象徴するものでしょ。そのサークル内の住人である以上、帰化云々は別にして少なくとも髷を結って相撲を取っている間は日本人に成り切らなくてはならないわけですよ。それが嫌なら初めから日本で相撲なんか取るなって話でしょ。裏を返せば、照ノ富士を日本人として認めているからこそ、土俵に上げてやっているというのが相撲協会、ファン、共通の道理になるわけです。
その道理は、「日本人は日本人らしく卑怯な振る舞いをしてはいけない」という暗黙の了解もとで成立している。
左足がそこまで痛いとは誰も思っていないから、見ていた人は照ノ富士が賜杯に目がくらみ、ついつい勝ちに行って卑怯な真似をしたというふうに映ったわけだ。日本人らしく正々堂々と真っ向勝負をすることこそが美学の大相撲に於いて、卑怯な振る舞いというのは到底許されず、この勝てばどんな卑怯なことをしても構わないということをいったん認めてしまうと、ファン離れを起こし、それはもはや国技自体が成立しなくなってしまう。だからこそ、「日本人らしく」というアイデンティティは何よりも先に担保しなくてはならないと思うのです。
もし、「モンゴルに帰れ」を発言した人を擁護するのであれば照ノ富士を日本人と同じ力士と認めていたからこそ、どうしても裏切られた感は強く、その忸怩たる思いに耐えかねてついつい発してしまったと、そう解釈すれば案外この問題はすんなりと片付くと思いますがどうでしょう?これって都合良すぎですか?
そこまで深く考えてはおらず、単純に外国人力士憎しで帰れバカヤローといった可能性も否定できませんけどね。むしろ大阪のおっちゃんだし、そっちの方が大きいか(笑)。
ちなみに、稀勢の里が同様のことをして、「茨城に帰れ」とブーイングすると、これもヘイトに当たるんですかねぇ?
なお、個人的には照ノ富士関、好きな力士の一人です。あのふてぶてしい勝負師然とした面構え、腑抜けな日本人力士より、よっぽど日本人らしいとさえ思っております。