バカな家庭の子か否かを見抜く魔法のキーワードとは
- 2017/03/31
- 10:26
明日から新年度、早いところでは新卒の入社式が今週あった会社さんもあると思いますが、僕が男女問わず若い子と面談・面接するうえで重要視していることがひとつあります。
経営者や上役の連中と面接する際、自分の母親、父親のことを「父」、「母」と言えず、臆面もなく、「お父さん」、「お母さん」っていっちゃう奴って、本人はもちろんのこと、そいつの親もまた、同じようにバカの烙印を押してしまっても、まず間違いないと思っている。
入社の面接で、「お母さんもまだ現役で働いているのかな?」、「おじいちゃん、おばあちゃんも一緒に同居ですか?」と聞くじゃない。こっちは別に母親が働いていようが、じいさん、ばあさんが一緒に暮らしていようが実のところ、そんなことはまったくどうでもよかったりします。欲しいのは「母は・・・」、「祖父、祖母は・・・」という、社会人としてごくごく当たり前の言葉遣いなんですよね。
これって社会人としての言葉遣いであれば初歩的なものでしょ。こういうのってまともな親御さんであれば当然家庭でのしつけの一環として、自分の子供が世の中に出て恥をかかないようしっかりと教え込むものじゃない、それを出来ないということは翻って考えると、家庭での情操教育がまったくなっていないということですから子が子なら親も親で相当頭の悪い一家なんだろうなと思ってしまいます。
もちろん、言葉遣いがなっていなくとも人間性が優れた人って世の中にはたくさんいます。でもね、短時間の面接でその人の人間性なんてものは神様でもない限り見抜くことは出来ない。まさか池の中に斧を落として、「お前の落としたのはこの金の斧か、銀の斧か?」と、どっきりカメラみたいなことは出来んしね(俺なら真っ先に金の斧寄越せ、バカ野郎というが)。だからこそ、面接官は言葉や所作の端々でおぼろげながらもなんとなくの人間性を掴んでいくしかないじゃん。
言っていること間違っていますかね?
ここまでの話って知性とはまったく別の話であり、如何にその人が育ってきた環境がまっとうなものであったか、否かを試しているに過ぎない、勉強が出来る出来ないとはまったく別次元の話です。むしろ勉強が出来ないのであれば尚更しつけを厳しくして社会常識を教え込まなくてはならないと思います。
少なくとも自分だったらそう考える。
手前みそかもしれんが僕はそのへん常に気を遣い、如才なく振舞っているつもりです。例えば、初めて自宅に招かれる家で、見えるところに仏壇があれば、「すいません、お線香一本上げさせてください」といって、手を合わせる。もうこれだけで、招いた人からすると、俺だけじゃなく、「覆面さんちの親御さんはちゃんとしつけが出来て、大したもんだ」と思い、ウチの親まで高得点でしょ。
とはいえ、こういうのってあくまでも俺の感覚からすると特別なことでもなんでもなくって世に出るうえでは当たり前の感覚だと思うのです。
別に最近の若者は・・・、などというつもりはなくてですね、昔からバカはいるし、今だって立派な若者はたくさんいる。それは今も昔も同じ。古代遺跡から発掘した石盤を考古学者が解読してみると、なんのことはない、『今どきの子は・・・』と書いてあったなんて笑い話ありますしね。僕は何もお金がすべてとは言いませんけど、上手に立ち振る舞った方が最終的に金銭面でも得をする方が多いのは自明でしょう。同じ程度の知性の持ち主がいて、一人は言葉使いや礼儀もしっかりとした人、もう一人はまったくなっていない人、どちらかを採用したり、出世をさせるかといえばやっぱり常識のある人だと思うんだよね、そこらへんのことを若者には分かって欲しかったりします。
とはいえ、バカには分からんだろうな~、バカだから。
経営者や上役の連中と面接する際、自分の母親、父親のことを「父」、「母」と言えず、臆面もなく、「お父さん」、「お母さん」っていっちゃう奴って、本人はもちろんのこと、そいつの親もまた、同じようにバカの烙印を押してしまっても、まず間違いないと思っている。
入社の面接で、「お母さんもまだ現役で働いているのかな?」、「おじいちゃん、おばあちゃんも一緒に同居ですか?」と聞くじゃない。こっちは別に母親が働いていようが、じいさん、ばあさんが一緒に暮らしていようが実のところ、そんなことはまったくどうでもよかったりします。欲しいのは「母は・・・」、「祖父、祖母は・・・」という、社会人としてごくごく当たり前の言葉遣いなんですよね。
これって社会人としての言葉遣いであれば初歩的なものでしょ。こういうのってまともな親御さんであれば当然家庭でのしつけの一環として、自分の子供が世の中に出て恥をかかないようしっかりと教え込むものじゃない、それを出来ないということは翻って考えると、家庭での情操教育がまったくなっていないということですから子が子なら親も親で相当頭の悪い一家なんだろうなと思ってしまいます。
もちろん、言葉遣いがなっていなくとも人間性が優れた人って世の中にはたくさんいます。でもね、短時間の面接でその人の人間性なんてものは神様でもない限り見抜くことは出来ない。まさか池の中に斧を落として、「お前の落としたのはこの金の斧か、銀の斧か?」と、どっきりカメラみたいなことは出来んしね(俺なら真っ先に金の斧寄越せ、バカ野郎というが)。だからこそ、面接官は言葉や所作の端々でおぼろげながらもなんとなくの人間性を掴んでいくしかないじゃん。
言っていること間違っていますかね?
ここまでの話って知性とはまったく別の話であり、如何にその人が育ってきた環境がまっとうなものであったか、否かを試しているに過ぎない、勉強が出来る出来ないとはまったく別次元の話です。むしろ勉強が出来ないのであれば尚更しつけを厳しくして社会常識を教え込まなくてはならないと思います。
少なくとも自分だったらそう考える。
手前みそかもしれんが僕はそのへん常に気を遣い、如才なく振舞っているつもりです。例えば、初めて自宅に招かれる家で、見えるところに仏壇があれば、「すいません、お線香一本上げさせてください」といって、手を合わせる。もうこれだけで、招いた人からすると、俺だけじゃなく、「覆面さんちの親御さんはちゃんとしつけが出来て、大したもんだ」と思い、ウチの親まで高得点でしょ。
とはいえ、こういうのってあくまでも俺の感覚からすると特別なことでもなんでもなくって世に出るうえでは当たり前の感覚だと思うのです。
別に最近の若者は・・・、などというつもりはなくてですね、昔からバカはいるし、今だって立派な若者はたくさんいる。それは今も昔も同じ。古代遺跡から発掘した石盤を考古学者が解読してみると、なんのことはない、『今どきの子は・・・』と書いてあったなんて笑い話ありますしね。僕は何もお金がすべてとは言いませんけど、上手に立ち振る舞った方が最終的に金銭面でも得をする方が多いのは自明でしょう。同じ程度の知性の持ち主がいて、一人は言葉使いや礼儀もしっかりとした人、もう一人はまったくなっていない人、どちらかを採用したり、出世をさせるかといえばやっぱり常識のある人だと思うんだよね、そこらへんのことを若者には分かって欲しかったりします。
とはいえ、バカには分からんだろうな~、バカだから。