大川小学校の遺族訴訟に違和感を覚えるのは僕だけでしょうか
- 2017/03/16
- 10:15
なんかモヤモヤすんだよねぇ。
いやね、大川小学校の訴訟の問題さ、原告の訴訟の理由の一つが「真実、知りたかった」。
真実はまさかここまで津波は来ないだろうという希望的観測を根拠に安全な高台に逃げず、新北上大橋のたもとを目指すことになった。そこであの悲劇が生まれたと、これは生存者の証言でも明らかになっており、厳しい言い方をすればこれがすべて、それ以上でもそれ以下でもない。真実が知りたいだけであれば別に訴訟をしなくとも明らかだ。
別に民事訴訟をすることに対してケチをつけているわけではない。
交通事故などもそうだが、今後生存していれば恐らく得られるであろう逸失利益と悲しみの対価をプラスして計算したものが慰謝料である。被告が応じて支払えばなんら問題はないが支払わない場合、或いは被告が支払いを不服と考えた場合、それぞれが裁判所に支払いの是非を求めるのは当然の権利であるからそこをとやかく言うつもりはまったくない。
ただ、金銭保証の理由を「真実、知りたかった」にするのはどうかと思うのである。
じゃあ真実が分かったのだからそれでいいだろという理屈になってしまう。
安全な高台に誘導していれば間違いなく助かった命、親御さんの気持ちを慮れば胸が締め付けられる思いだ。遺族の悔しさや悲しみ、到底計り知れない。でも、こうなった以上、あとはもう金銭でしか解決出来ないのだから、お金を得ることによって解決しましょうというのが法治国家の大原則だ。
だからこそ、「真実、知りたかった」などと綺麗ごとを言わず、慰謝料を求めればいいと思うのである。
いいですか、交通事故などもそうですがいくら無念であっても、被告を殺したり、痛めつけたりすることは出来ない。だからこそ、その思いの丈を金銭に換算して解決するしかないのだ。もしかすると、野蛮な国家だと被告に対し、目には目を歯には歯を式に同じ目に合わせるということも可能かもしれないがここは日本だ、そんな傍若無人な振る舞いは許されるはずはない。気持ちは痛いほどよく分かるが。
いやね、大川小学校の訴訟の問題さ、原告の訴訟の理由の一つが「真実、知りたかった」。
真実はまさかここまで津波は来ないだろうという希望的観測を根拠に安全な高台に逃げず、新北上大橋のたもとを目指すことになった。そこであの悲劇が生まれたと、これは生存者の証言でも明らかになっており、厳しい言い方をすればこれがすべて、それ以上でもそれ以下でもない。真実が知りたいだけであれば別に訴訟をしなくとも明らかだ。
別に民事訴訟をすることに対してケチをつけているわけではない。
交通事故などもそうだが、今後生存していれば恐らく得られるであろう逸失利益と悲しみの対価をプラスして計算したものが慰謝料である。被告が応じて支払えばなんら問題はないが支払わない場合、或いは被告が支払いを不服と考えた場合、それぞれが裁判所に支払いの是非を求めるのは当然の権利であるからそこをとやかく言うつもりはまったくない。
ただ、金銭保証の理由を「真実、知りたかった」にするのはどうかと思うのである。
じゃあ真実が分かったのだからそれでいいだろという理屈になってしまう。
安全な高台に誘導していれば間違いなく助かった命、親御さんの気持ちを慮れば胸が締め付けられる思いだ。遺族の悔しさや悲しみ、到底計り知れない。でも、こうなった以上、あとはもう金銭でしか解決出来ないのだから、お金を得ることによって解決しましょうというのが法治国家の大原則だ。
だからこそ、「真実、知りたかった」などと綺麗ごとを言わず、慰謝料を求めればいいと思うのである。
いいですか、交通事故などもそうですがいくら無念であっても、被告を殺したり、痛めつけたりすることは出来ない。だからこそ、その思いの丈を金銭に換算して解決するしかないのだ。もしかすると、野蛮な国家だと被告に対し、目には目を歯には歯を式に同じ目に合わせるということも可能かもしれないがここは日本だ、そんな傍若無人な振る舞いは許されるはずはない。気持ちは痛いほどよく分かるが。