手柄の分け方
- 2017/03/10
- 13:47
前回理想の管理者像みたいな話をしましたが理想の上司なんていうのもケースバイケースだよね。
同じ職場であっても部下の資質やその時々の社会情勢などによって求められるものは違う。また、イケイケどんどんで攻戦のみを考える場合と、ある程度状況が成熟してしまい現状の維持に重きを置く場合とでは求められる管理者像がまったく違う。
そういったことをよく考えず理想の管理者像を描いたところでそれってあんまり意味がないんじゃないかと思うわけですよ。昔から治世の能臣、乱世の奸雄なんて言いますし。
ただ、僕はどういう状況であれ、「成功は部下の手柄、失敗は己の不甲斐なさが招いた自己責任」、そういえる人間でありたいと思っている。
営業でも研究でもそうだが部下の成功を横取りして、自分の手柄にする奴はサイテーだと思う。まあ大学の研究機関などは年功序列が大原則であり、ノーベル賞を受賞するような場合でも実は教授自身大したことをやっておらず、発見したのは部下の研究者なんてこともままあることで、それが研究機関の慣例ということもありますが、だけどもやっぱり人の手柄を横取りするような奴は人間が薄っぺらいと思うんですよ。
部下がなにか大きな契約が取ってきました、課長級の上司がさらに上の専務とか常務クラスの上司に報告するときに、「○○君が今回頑張って大きな契約を取ってきました。専務、彼を誉めてやってください、よろしくお願いいたします」と報告するのと、「いやー、今回は難儀しましたわ、それでもまあわたしが商談をまとめてまいりました、えへん」と報告するの、どっちがその後の人間関係においてプラスに作用するかといえば大抵は前者でしょう。
でも世の中に手柄を横取りする上司の存在というのは結構というか、かなり多いと思われ、実際は名ばかり上司のセコさを目の当たりにする機会も相当多いと思う。
信賞必罰の徹底、本来論功行賞を明確にするのが上司たる管理者の役割であるはずなのに、猪の一番にテメェの保身を考える料簡の狭さ、こんな奴が管理者云々を語ること自体がおこがましい。しかし、そういう人間がいるいうことを含めて社会であり、理想を言っても仕方はないが少なくとも俺は敵の手柄を分捕ることはあっても部下の手柄を横取りすることないね。それだけは言い切れる、はい。
同じ職場であっても部下の資質やその時々の社会情勢などによって求められるものは違う。また、イケイケどんどんで攻戦のみを考える場合と、ある程度状況が成熟してしまい現状の維持に重きを置く場合とでは求められる管理者像がまったく違う。
そういったことをよく考えず理想の管理者像を描いたところでそれってあんまり意味がないんじゃないかと思うわけですよ。昔から治世の能臣、乱世の奸雄なんて言いますし。
ただ、僕はどういう状況であれ、「成功は部下の手柄、失敗は己の不甲斐なさが招いた自己責任」、そういえる人間でありたいと思っている。
営業でも研究でもそうだが部下の成功を横取りして、自分の手柄にする奴はサイテーだと思う。まあ大学の研究機関などは年功序列が大原則であり、ノーベル賞を受賞するような場合でも実は教授自身大したことをやっておらず、発見したのは部下の研究者なんてこともままあることで、それが研究機関の慣例ということもありますが、だけどもやっぱり人の手柄を横取りするような奴は人間が薄っぺらいと思うんですよ。
部下がなにか大きな契約が取ってきました、課長級の上司がさらに上の専務とか常務クラスの上司に報告するときに、「○○君が今回頑張って大きな契約を取ってきました。専務、彼を誉めてやってください、よろしくお願いいたします」と報告するのと、「いやー、今回は難儀しましたわ、それでもまあわたしが商談をまとめてまいりました、えへん」と報告するの、どっちがその後の人間関係においてプラスに作用するかといえば大抵は前者でしょう。
でも世の中に手柄を横取りする上司の存在というのは結構というか、かなり多いと思われ、実際は名ばかり上司のセコさを目の当たりにする機会も相当多いと思う。
信賞必罰の徹底、本来論功行賞を明確にするのが上司たる管理者の役割であるはずなのに、猪の一番にテメェの保身を考える料簡の狭さ、こんな奴が管理者云々を語ること自体がおこがましい。しかし、そういう人間がいるいうことを含めて社会であり、理想を言っても仕方はないが少なくとも俺は敵の手柄を分捕ることはあっても部下の手柄を横取りすることないね。それだけは言い切れる、はい。