わが闘争に於ける一つの矛盾
- 2017/03/02
- 15:47
『わたしは今日、人間というものは、まったく特殊な才能をもっている場合は別として、一般に三十歳以前には公的に政治にかかわるべきではないと確信している。
そうすべきでないというのは、このころまでに大部分はまず一般的な土台がつくられ、そのころはじめていろいろの政治問題を吟味し、それに対する独自の立場を決定的に確定しうるからである。こうした基礎的な世界観を獲得し、そうすることによって個々の時事問題に対する自分の見方が確実なものになった後にはじめて、少なくとも内面的に十分成熟した人聞が、国家の政治的指導に参加すべきであり、してもよいのである。』(わが闘争上巻・アドルフ・ヒトラー著・角川文庫・P98)
前回の続きになるが、これはヒトラーが35才(1924年)のころに記したものである。
政治に参加するにはある程度の年端が過ぎて、自我が形成されてからの方が好ましいとヒトラー自身が述べている。個人的なことをいえば30才では今の水準からするとやや遅く、現在は時代の流れがとても速いですから政治に参加するには高校、大学を出て、社会人をそれなりに経験した25才ぐらいがちょうどよい頃合いだと思う。日本の被選挙権も25才以上ですしね。ともあれ、いずれにしても納得出来る意見であり、幼少の頃から軍国教育をするなど狂気の沙汰以外の何ものでもないだろう。
それでだ、ここまでであれば何も問題はないのであるが、ヒトラーはこの約10年後前言を完全に覆している。ナチ党(ナチス)の青少年教化組織としてヒトラー・ユーゲントが設立され、10歳~18歳の青少年全員の加入が法律によって義務付けられ、軍事訓練、民族主義教育をドイツの国家政策として行われたのである。手塚治虫の「アドルフに告ぐ」を読んだことのある人ならよくお分かりだと思う。
ヒトラー自身が「三十歳以前には公的に政治にかかわるべきではないと確信している」と述べておきながら、10年後は青少年に政治的な思想を強要しているこの矛盾、いったい全体これをどう説明するのか。しかも政治にかかわるべきではないと「思う」にとどまらず、ヒトラーは「確信している」と言い切ってしまっているのである。僕は前回も書きましたが決してヒトラーを全知全能の神と崇めているわけではない。「二十世紀最大の悪魔」と形容されようとも、所詮は人の子である。善い部分と悪い部分があるのは当然だ。それゆえ、自分は割りと俯瞰的に一歩引いて物事を見ることができ、若いころの意見に賛同はするが、戦時下という特殊な状況を考慮しても国家が政策の一つとして青少年に民族主義を強要することは理解に苦しむと、客観視することができるのである。
つまり何が言いたいかというと、浅学非才の自分のような存在であってもある程度年を重ねてくると、おかしいところはおかしい、正しいところは正しいと、バカはバカなりにも色分けが出来るようになるのだ。
しかし、これが幼稚園児の場合どうだろう、箸の持ち方もまだ分からぬような小さな子供に善悪の判断はつきますか?
親を大切にしなさい、友達を大事にしなさい、弱いものを助けなさい、よく学んでよく遊びなさい、食べ物をおいしく食べられることに感謝しなさいなど、軍歌を歌わす前にもっとするべきことがあるだろうと思う。確かに鉄は熱いうちに打てというが、渇して井を穿つともいう、当たり前のことを当たり前のように出来る正しい大人になる、そのための正しい教育、それが本当の情操教育だと思う。園児が軍歌を熱心に歌う、奇妙奇天烈を通り越してうすら寒いではないか。
僕は土地問題自体よりもむしろそちらの方が気になって気になって仕方がないのだ。
そうすべきでないというのは、このころまでに大部分はまず一般的な土台がつくられ、そのころはじめていろいろの政治問題を吟味し、それに対する独自の立場を決定的に確定しうるからである。こうした基礎的な世界観を獲得し、そうすることによって個々の時事問題に対する自分の見方が確実なものになった後にはじめて、少なくとも内面的に十分成熟した人聞が、国家の政治的指導に参加すべきであり、してもよいのである。』(わが闘争上巻・アドルフ・ヒトラー著・角川文庫・P98)
前回の続きになるが、これはヒトラーが35才(1924年)のころに記したものである。
政治に参加するにはある程度の年端が過ぎて、自我が形成されてからの方が好ましいとヒトラー自身が述べている。個人的なことをいえば30才では今の水準からするとやや遅く、現在は時代の流れがとても速いですから政治に参加するには高校、大学を出て、社会人をそれなりに経験した25才ぐらいがちょうどよい頃合いだと思う。日本の被選挙権も25才以上ですしね。ともあれ、いずれにしても納得出来る意見であり、幼少の頃から軍国教育をするなど狂気の沙汰以外の何ものでもないだろう。
それでだ、ここまでであれば何も問題はないのであるが、ヒトラーはこの約10年後前言を完全に覆している。ナチ党(ナチス)の青少年教化組織としてヒトラー・ユーゲントが設立され、10歳~18歳の青少年全員の加入が法律によって義務付けられ、軍事訓練、民族主義教育をドイツの国家政策として行われたのである。手塚治虫の「アドルフに告ぐ」を読んだことのある人ならよくお分かりだと思う。
ヒトラー自身が「三十歳以前には公的に政治にかかわるべきではないと確信している」と述べておきながら、10年後は青少年に政治的な思想を強要しているこの矛盾、いったい全体これをどう説明するのか。しかも政治にかかわるべきではないと「思う」にとどまらず、ヒトラーは「確信している」と言い切ってしまっているのである。僕は前回も書きましたが決してヒトラーを全知全能の神と崇めているわけではない。「二十世紀最大の悪魔」と形容されようとも、所詮は人の子である。善い部分と悪い部分があるのは当然だ。それゆえ、自分は割りと俯瞰的に一歩引いて物事を見ることができ、若いころの意見に賛同はするが、戦時下という特殊な状況を考慮しても国家が政策の一つとして青少年に民族主義を強要することは理解に苦しむと、客観視することができるのである。
つまり何が言いたいかというと、浅学非才の自分のような存在であってもある程度年を重ねてくると、おかしいところはおかしい、正しいところは正しいと、バカはバカなりにも色分けが出来るようになるのだ。
しかし、これが幼稚園児の場合どうだろう、箸の持ち方もまだ分からぬような小さな子供に善悪の判断はつきますか?
親を大切にしなさい、友達を大事にしなさい、弱いものを助けなさい、よく学んでよく遊びなさい、食べ物をおいしく食べられることに感謝しなさいなど、軍歌を歌わす前にもっとするべきことがあるだろうと思う。確かに鉄は熱いうちに打てというが、渇して井を穿つともいう、当たり前のことを当たり前のように出来る正しい大人になる、そのための正しい教育、それが本当の情操教育だと思う。園児が軍歌を熱心に歌う、奇妙奇天烈を通り越してうすら寒いではないか。
僕は土地問題自体よりもむしろそちらの方が気になって気になって仕方がないのだ。