『静岡文化芸術大主催の多文化子ども教育フォーラムが4日、浜松市中区の同大で開かれ、静岡県多文化共生審議会委員で、インドネシア出身のエフィ・グスティ・ワフユニさん(39)が講演した。県内のイスラム教徒(ムスリム)への調査を基に、ムスリムの子どもたちが学校生活で給食や礼拝などに苦慮している現状を報告。「ムスリムを取り巻く問題改善のきっかけになれば」と訴えた。
調査は昨年11月、県内在住の同国人ら26家族を対象に、学校生活や職場で困っていること、対応策などを尋ね、実態を初めて公表。「ハラール対応」ではない学校給食に多くの保護者が悩んでいる様子が浮かび上がった。大半が毎日弁当持参か、豚肉使用のメニュー時におかずを持参する対応を取っていて、「給食は食べるが豚肉は残す」ように子どもに指示している家庭もあった。
学校や職場で、お祈りや断食、女性が頭にかぶる「ヒジャブ」を禁止された例や、侮蔑の言葉を投げ掛けられた体験談も示された。
エフィさんは、ハラール対応の給食を出す福岡県内の私立保育園や金曜日の礼拝を例外的に認める浜松市内の学校などを紹介し、「ルールだから駄目というのではなく柔軟な対応を検討してほしい」と理解を求めた。』
(静岡新聞)
LGBTなどもそうですが、マイノリティーに優しい社会の構築みたいな意見って、正直しゃらくせぇバカ野郎めがって思ってしまうんですね。なんでも近頃は学校のトイレに思いやりトイレなるものが存在し、性的少数者のための特別なトイレもあるそうで、自分などはなんだかなぁと思ってしまうのです。
俺が逮捕され、留置場に入っていたときもそうでした。留置場の住人はなにも日本人ばかりとは限らず、外国人もいるのですが、一部の外国人は我々と食べ物が違うのです。看守にワケを訊ねると、「イスラム教の奴らは宗教で食べ物が決まっているから別メニュー出してんだよ。人権とかうるせぇから分けて出してるけど正直出されたもの食べろって話だよな」と仰ってました。
ホントそう。悪いことをして捕まった連中ですよ(俺もだが)。なんでそこまで気を遣う必要がある?百歩譲って留置場はまだいい、推定有罪であり、身分はまだ一般人のそれと変わらん。しかし、裁判で実刑が確定し、服役することになったとしてもこの食事に対する人権は守られ、囚人でありながらイスラムのルールに則ったものが刑務所内でも支給されるという。中東諸国や左翼系団体との余計な摩擦を避けたいがためという大人の事情も分からぬでもないが郷に入っては郷に従えは日本人の美徳であるからイチイチくだらんことに気を遣う必要などないと思うわけです。
これは学校教育もしかり、宗教や性的少数者に限らずすべてに対してそうなのですが、学校教育とは結局のところ、長い物に巻かれるための訓練の場なわけじゃん。単純に読み書きソロバンだけが目的なら学校に通わずとも塾や予備校で事足りる。それどころかパソコンの使い方だけ学べばコンピューターがそんなものはなんとかしてくれる。
大学(高校、専門学校)を卒業して就職しました。企業にしろ、官公庁にしろ、理不尽なことって山ほどあると思うのね。でもそこで学校では違いました、前の職場では違いましたと主張していたらキリがないじゃん。暴力や賃金不払いなど、明らかなブラックならともかく、どこの職場でもおかしなことの一つや二つはあるよ。
東芝が倒産するとかしないとか騒がれていますけど、日本の企業って世界的にみると相当優秀じゃない。この優秀さって、先人たちが作ってきたレールの上を、騒がず、はみ出さず、粛々と労働者が渡ってきた結果だと思うんだわ。つまり日本の企業が優秀なのは長いものには巻かれろ式教育の賜物だと言える。違います?
少数派のために多数派が遠慮をしてたら世の中はそれこそ混沌としてしまうって。
極論を言えば1人を差し出せば99人の命が助かるか、99人を差し出せば1人が助かるかって話で、そういった場合、どう考えても1人を差し出す方が正しいって話じゃん。
でも今の少数派にも優しい社会になりましょうって風潮は99人の命を差し出すべきという流れじゃん。これって相当変だよね。スゲー極端な話だけどな。
こんなことを言うと、「お前はLGBTの苦しみも分からないのか」とお叱りを受けるかもしれませんが、アブノーマルな奴の苦しみなんぞ分からんし、分かる必要もないんすわ。奴らが自分の性差に苦しみ、仮に自殺したって身内でもないし、なーんも困らんのよ。むしろ公衆トイレや治療費などに掛かる余計な税金を投入せずに済んだと、清々する話でさ、結果オーライどころか、その実、万々歳だったりする。宗教も同様。国が招聘して呼んだんならそりゃあ気を遣う必要はあろうが、日本にいるイスラムの人って、金であったり、安全であったり、日本にいるメリットを享受したいがために日本にいるわけじゃん。だったら国のルールに従えって話でさ、それが嫌なら自国に帰るか、日本以外の宗教に寛容な国に移住するしかないわな。
中には国を追われて命からがら日本に来た人もいるかもしれないが恨むべきは日本人の不寛容さではなく、自国の指導者だ。お門違いも甚だしい。
ついでに引きこもりなんかもそう。世の中の99%以上の人は不承不承であっても額に汗して働いている。社会に迎合できないのは社会が悪いんじゃなく、迎合できないお前の方だ。いわばお前らは粗大ごみ。こいつらがどうなったって知ったこっちゃない。親に面倒見てもらえるうちはまだよいが、生活保護など言語道断、さっさと死んで土になれと思ってしまう。酸素は有限、貴重だ。
相当反社会的なことを書いたような気もするがまったく撤回するつもりはない。
本来、人に優しい社会とは真面目に生きている多数派のための社会である。一生懸命に働いている人を救うのは国家としての役割であろうが、病的なマイノリティー一人を救うため、多数の真面目な勤労者が割りを喰らうのはおかしな話だ。
休憩時間のベルが鳴りました。トイレを我慢していた労働者たちは一斉にトイレに向かう。トイレは長い行列。空いているのはLGBTが使う思いやりトイレのみ。LGBTは悠々と空いているトイレに入る。なんであいつ一人のために俺たちはトイレを我慢しなくてはならんのかって話だろ?どうもダイバーシティって言葉が流行りだしてからおかしくなってきた気がする。
ダイバーシティってお台場のことじゃねぇーぞ。多様性って意味だかんな。