えっ、本当ですか?
- 2016/11/18
- 10:03
最近というか、ここずーっとなのだがイライラする言葉遣いがある。
若者の発する、「えっ本当ですか?」、あれ。
ツチノコを捕まえたとか、宇宙人と遭遇したとかな、いかにも嘘っぽい話をしているんであれば分かります。でも今の若い子って単なる相槌であれを遣うじゃん。
うちの近所のスタバがたまたまそうなのか、全国的にそうなのかはわからんが、うちの近くのスタバの店員さんはやたらとフレンドリーなのだ。皆、かわいい子ばっかりで並みの男なら思わず鼻の下が地面についてしまうんじゃねーかと思うぐらい長~く伸ばしてしまうんでしょうけど、すでに枯れ切っている俺にそんな気は毛頭ねぇーの。単純に読書とWi-Fiを使いたいから来ているだけで喋りかけられたくなんかねぇーんだわ(ごめんね)。ビジネスライクにコーヒーだけを出してくれればそれでいい。会話など求めておらんのだ。
しかしながら、近所の手前もあるし、俺も大人だから内心ウゼェーなぁと思いつつも、適当に話を合わせてやる。
店員「あれ、今日はお疲れですか、なんか少し眠そうですねぇ」
俺「昨日遅くまで仕事しちゃって寝不足気味なんだよね」
店員「本当ですか?」
ピキーン、一気に疲れが吹っ飛び、完全に目が覚めた。
親子ほど年の離れたスタバの姉ちゃんに、俺が嘘つく理由がねぇじゃん。何か疑われるような話をしているか。本当ですかということは額面通りに受け取ると、嘘ついてませんよねという意味だろ、寝不足という日常的な出来事を語るのに嘘つく理由もメリットも(ついでにいうとデメリットも)俺からするとまるでない。
たまたまスタバの話だけど、本当最近この手の日本語の不自由な奴が多い。先日など広告代理店の営業にも言われた。
俺「来週求人の広告1枠取るから抑えといて」
営業「えっ、本当ですか、ありがとうございます」
俺、ピキピキピッキーン。
わざわざ、こっちから電話を入れて嘘をつく理由がねぇー!!また俺が疑われるような言動を普段からしているとも思えない。何も電通や博報堂に電話を入れ、億単位のテレビCMのプロジェクトを依頼するわけじゃない、1枠1万ちょいの求人広告だ、その広告出稿すら疑われるということは、イコール俺がそれだけの財力しかないちんけな野郎だと受け取られているわけだ。
確かに財閥じゃないが求人広告の1枠や2枠抑えるぐらいどうってことがねぇよ、バカ野郎。
いやさ、俺も分かってはいるの、「本当ですか」にそこまで深い意味があるわけではなく、単に「へー、そうなんですか」、「なるほど」的な単なる相槌だってことぐらいは。
確かに言葉なんてもんは百年もすればガラリと変わり、同じ日本語であっても通用しなくなるのは分かります。しかし、「本当ですか?」という言葉は本来疑いがある場合に発する用法でしょ。言葉の遣い方も昔とは違うんですよ、古語の「かなし」は悲しいではなく可愛いという意味で遣われているじゃないですかと、大団円的に話をまとめるのはどうにもこうにも釈然としない。単純に俺が狭量なだけなんでしょうけど、「えっ本当ですか」と言われるたびにカチーンとくる。
お願いします、俺には「本当ですか」と言わないでください。いりません。コーヒーだけください。
>>匿名希望さん
ありがとうございます。コメント拝読いたしました。お母さまの介護大変ですね。心中察します。
ただ、誤解されると困るのは、あくまでも「私がそうであったら」というだけであり、自分以外の人や介護に携わる人を卑下するつもりは全くありません。
個人的な価値観の問題であり、自分以外にこの価値観を押し付けるつもりは毛頭ないのですが、僕は肉体と自我というものは一体でなければならないと考えています。自我がなくなり、家族はおろか、自分が誰かも分からなくなった瞬間、いくら体が健康であっても俺という存在はこの世からなくなったものと思います。自分はこれまでプライドだけで生きてきました。そのプライドの源泉は自我があることに由来しています。
自我がこと切れ、肉体だけが健全なまま、残りの人生を無為に過ごすということはそれまでの人生を否定することにも繋がると思い、これは死ぬよりもつらい。病気で死ぬのか、寿命で死ぬのか、或いは殺されるのか、事故に合うのか、最期は分かりませんが僕ははっきり死ぬという意識を持ったまま死にたいのです。
何度も恐縮ですがもちろん、僕の価値観であり、他人に対してどうだという意識は全くありません。
>.>ゆい^^ちゃん
美味しそうではなく美味しいです。あっさり系が好きなら一度行ってください。多分気に入るんじゃなかろうかと。
若者の発する、「えっ本当ですか?」、あれ。
ツチノコを捕まえたとか、宇宙人と遭遇したとかな、いかにも嘘っぽい話をしているんであれば分かります。でも今の若い子って単なる相槌であれを遣うじゃん。
うちの近所のスタバがたまたまそうなのか、全国的にそうなのかはわからんが、うちの近くのスタバの店員さんはやたらとフレンドリーなのだ。皆、かわいい子ばっかりで並みの男なら思わず鼻の下が地面についてしまうんじゃねーかと思うぐらい長~く伸ばしてしまうんでしょうけど、すでに枯れ切っている俺にそんな気は毛頭ねぇーの。単純に読書とWi-Fiを使いたいから来ているだけで喋りかけられたくなんかねぇーんだわ(ごめんね)。ビジネスライクにコーヒーだけを出してくれればそれでいい。会話など求めておらんのだ。
しかしながら、近所の手前もあるし、俺も大人だから内心ウゼェーなぁと思いつつも、適当に話を合わせてやる。
店員「あれ、今日はお疲れですか、なんか少し眠そうですねぇ」
俺「昨日遅くまで仕事しちゃって寝不足気味なんだよね」
店員「本当ですか?」
ピキーン、一気に疲れが吹っ飛び、完全に目が覚めた。
親子ほど年の離れたスタバの姉ちゃんに、俺が嘘つく理由がねぇじゃん。何か疑われるような話をしているか。本当ですかということは額面通りに受け取ると、嘘ついてませんよねという意味だろ、寝不足という日常的な出来事を語るのに嘘つく理由もメリットも(ついでにいうとデメリットも)俺からするとまるでない。
たまたまスタバの話だけど、本当最近この手の日本語の不自由な奴が多い。先日など広告代理店の営業にも言われた。
俺「来週求人の広告1枠取るから抑えといて」
営業「えっ、本当ですか、ありがとうございます」
俺、ピキピキピッキーン。
わざわざ、こっちから電話を入れて嘘をつく理由がねぇー!!また俺が疑われるような言動を普段からしているとも思えない。何も電通や博報堂に電話を入れ、億単位のテレビCMのプロジェクトを依頼するわけじゃない、1枠1万ちょいの求人広告だ、その広告出稿すら疑われるということは、イコール俺がそれだけの財力しかないちんけな野郎だと受け取られているわけだ。
確かに財閥じゃないが求人広告の1枠や2枠抑えるぐらいどうってことがねぇよ、バカ野郎。
いやさ、俺も分かってはいるの、「本当ですか」にそこまで深い意味があるわけではなく、単に「へー、そうなんですか」、「なるほど」的な単なる相槌だってことぐらいは。
確かに言葉なんてもんは百年もすればガラリと変わり、同じ日本語であっても通用しなくなるのは分かります。しかし、「本当ですか?」という言葉は本来疑いがある場合に発する用法でしょ。言葉の遣い方も昔とは違うんですよ、古語の「かなし」は悲しいではなく可愛いという意味で遣われているじゃないですかと、大団円的に話をまとめるのはどうにもこうにも釈然としない。単純に俺が狭量なだけなんでしょうけど、「えっ本当ですか」と言われるたびにカチーンとくる。
お願いします、俺には「本当ですか」と言わないでください。いりません。コーヒーだけください。
>>匿名希望さん
ありがとうございます。コメント拝読いたしました。お母さまの介護大変ですね。心中察します。
ただ、誤解されると困るのは、あくまでも「私がそうであったら」というだけであり、自分以外の人や介護に携わる人を卑下するつもりは全くありません。
個人的な価値観の問題であり、自分以外にこの価値観を押し付けるつもりは毛頭ないのですが、僕は肉体と自我というものは一体でなければならないと考えています。自我がなくなり、家族はおろか、自分が誰かも分からなくなった瞬間、いくら体が健康であっても俺という存在はこの世からなくなったものと思います。自分はこれまでプライドだけで生きてきました。そのプライドの源泉は自我があることに由来しています。
自我がこと切れ、肉体だけが健全なまま、残りの人生を無為に過ごすということはそれまでの人生を否定することにも繋がると思い、これは死ぬよりもつらい。病気で死ぬのか、寿命で死ぬのか、或いは殺されるのか、事故に合うのか、最期は分かりませんが僕ははっきり死ぬという意識を持ったまま死にたいのです。
何度も恐縮ですがもちろん、僕の価値観であり、他人に対してどうだという意識は全くありません。
>.>ゆい^^ちゃん
美味しそうではなく美味しいです。あっさり系が好きなら一度行ってください。多分気に入るんじゃなかろうかと。