死んで詫びるべきでしょう
- 2016/11/13
- 09:54
『83歳の車暴走、男女2人死亡 東京・立川の病院敷地内
12日午後3時ごろ、東京都立川市緑町の国立病院機構災害医療センターで、敷地内の歩道を歩いていた都内の30代の男女2人が、国分寺市東戸倉1、上江洲(うえず)幸子さん(83)の ... 警視庁立川署は上江洲さんが運転を誤ったとみて、回復を待って自動車運転処罰法違反(過失致死)の疑いで話を聴く方針。
84歳運転の車、病院に突っ込む 1人死亡2人けが
10日午後2時5分ごろ、栃木県下野市薬師寺の自治医科大学付属病院で、病院の敷地内を走っていた乗用車が正面玄関脇のバス停に突っ込み、ベンチに座っていた女性をはねた後、通路に乗り上げて鉄柱と壁にぶつかってとまった。女性は頭を強く打って間もなく死亡し、避けようとした女性2人も重軽傷を負った。』
相次いだ老人による交通事故、これは法律な問題ではなく、道義的な問題であるのだが、運転手は死んで詫びるべきだと思うのだ。
恐らく、過失運転致死罪であり、危険運転致死傷罪はまず適用されないであろう。過失運転致死罪は自分の裁判傍聴経験からすると大半が執行猶予付きの判決、もっとも、二人を死亡させたという事故自体、自分の傍聴経験上ないのでもしかすると立川の事故の場合は実刑判決かもしれないが、いずれにせよ、人の命を奪っておきながら判決は恐ろしく軽い。立川の事故が仮に実刑判決になったとしてもせいぜい懲役3年程度であると思われる。
俺が言いたいのは法律と切り離して考えるべき、自己の責任だ。
保険から慰謝料を支払い、司法罰、行政罰を受けてチャンチャンの幕切れでは自分自身に対して納得がいかないではないか、事故を起こした当事者が死んだからと言って故人が生き返るわけではないがけじめとして死んで詫びるべきだと思う。
子や孫のことなど、もしかしたら死ぬには未練が多すぎるかもしれないが尊い人の命を奪ったのである、生きたいのは事故を起こした当事者よりも失意のうちに世を去った被害者の方だ。生き恥を晒してはいけない、これまでの生きた証を無駄にしないためにも現生に別れを告げてこそだろう。
少なくとも俺なら死んでけじめをつける。
対してこの事故に関してはまったくの別意見だ。
『12日午後、広島市内の道路で遊んでいたとみられる1歳の男の子が車にはねられ死亡した。車を運転していた会社員の女が逮捕された。事故があったのは広島市佐伯区五日市2丁目の住宅街。12日午後3時ごろ、大濱翼ちゃん(1)が自宅前の道路で普通乗用車にはねられた。翼ちゃんは、病院に運ばれたが、頭を強く打っており、2時間半後に死亡した。
車を運転していたのは、近くに住む会社員・廣田英美容疑者(42)で、過失運転傷害の疑いで現行犯逮捕された。
警察によると、翼ちゃんは1人で遊んでいたとみられており、道路にしゃがんでいたという。廣田容疑者は、帰宅途中で容疑を認めているという。』
記事だけの話であり、詳細は分からぬが、あからさまなスピード違反や居眠り、わき見など、廣田容疑者に特段の過失があったとは思えない。痛ましい事故に違いはないが、むしろ責められるべきは1歳の子の母親(母子家庭ならその保護者)じゃないのか。なぜ赤ちゃんが一人で路上にいたのかということだ。
事故を起こした運転手は、罪は罪として償う必要はあるがだからといって死んで詫びる必要まではないと思う。こちらに関しては飲酒運転や薬物中毒者でもない限り、法律の範囲内での責任で問題ないと考える。
この辺の線引きって悪党の論理なのかもしれないけど。
12日午後3時ごろ、東京都立川市緑町の国立病院機構災害医療センターで、敷地内の歩道を歩いていた都内の30代の男女2人が、国分寺市東戸倉1、上江洲(うえず)幸子さん(83)の ... 警視庁立川署は上江洲さんが運転を誤ったとみて、回復を待って自動車運転処罰法違反(過失致死)の疑いで話を聴く方針。
84歳運転の車、病院に突っ込む 1人死亡2人けが
10日午後2時5分ごろ、栃木県下野市薬師寺の自治医科大学付属病院で、病院の敷地内を走っていた乗用車が正面玄関脇のバス停に突っ込み、ベンチに座っていた女性をはねた後、通路に乗り上げて鉄柱と壁にぶつかってとまった。女性は頭を強く打って間もなく死亡し、避けようとした女性2人も重軽傷を負った。』
相次いだ老人による交通事故、これは法律な問題ではなく、道義的な問題であるのだが、運転手は死んで詫びるべきだと思うのだ。
恐らく、過失運転致死罪であり、危険運転致死傷罪はまず適用されないであろう。過失運転致死罪は自分の裁判傍聴経験からすると大半が執行猶予付きの判決、もっとも、二人を死亡させたという事故自体、自分の傍聴経験上ないのでもしかすると立川の事故の場合は実刑判決かもしれないが、いずれにせよ、人の命を奪っておきながら判決は恐ろしく軽い。立川の事故が仮に実刑判決になったとしてもせいぜい懲役3年程度であると思われる。
俺が言いたいのは法律と切り離して考えるべき、自己の責任だ。
保険から慰謝料を支払い、司法罰、行政罰を受けてチャンチャンの幕切れでは自分自身に対して納得がいかないではないか、事故を起こした当事者が死んだからと言って故人が生き返るわけではないがけじめとして死んで詫びるべきだと思う。
子や孫のことなど、もしかしたら死ぬには未練が多すぎるかもしれないが尊い人の命を奪ったのである、生きたいのは事故を起こした当事者よりも失意のうちに世を去った被害者の方だ。生き恥を晒してはいけない、これまでの生きた証を無駄にしないためにも現生に別れを告げてこそだろう。
少なくとも俺なら死んでけじめをつける。
対してこの事故に関してはまったくの別意見だ。
『12日午後、広島市内の道路で遊んでいたとみられる1歳の男の子が車にはねられ死亡した。車を運転していた会社員の女が逮捕された。事故があったのは広島市佐伯区五日市2丁目の住宅街。12日午後3時ごろ、大濱翼ちゃん(1)が自宅前の道路で普通乗用車にはねられた。翼ちゃんは、病院に運ばれたが、頭を強く打っており、2時間半後に死亡した。
車を運転していたのは、近くに住む会社員・廣田英美容疑者(42)で、過失運転傷害の疑いで現行犯逮捕された。
警察によると、翼ちゃんは1人で遊んでいたとみられており、道路にしゃがんでいたという。廣田容疑者は、帰宅途中で容疑を認めているという。』
記事だけの話であり、詳細は分からぬが、あからさまなスピード違反や居眠り、わき見など、廣田容疑者に特段の過失があったとは思えない。痛ましい事故に違いはないが、むしろ責められるべきは1歳の子の母親(母子家庭ならその保護者)じゃないのか。なぜ赤ちゃんが一人で路上にいたのかということだ。
事故を起こした運転手は、罪は罪として償う必要はあるがだからといって死んで詫びる必要まではないと思う。こちらに関しては飲酒運転や薬物中毒者でもない限り、法律の範囲内での責任で問題ないと考える。
この辺の線引きって悪党の論理なのかもしれないけど。