靖国神社参拝
- 2016/09/19
- 11:47


東京には割りと行っている方だと思いますが今まで一度も行ったことがなかったのが靖国神社。
意図的に避けていたというつもりはさらさらなく、単純に行く機会に恵まれなかったというだけであるが、今回武道館のライブに行くことになり、であれば靖国神社への参拝もしようと密かに決めていたのである。
まず、A級戦犯の分祀については俺自身分祀をすべしと思っている。これについてはずーっとモヤモヤしていたのだがここにきてやはり合祀は誤った選択ではないのかと考えるようになった。理由は昭和天皇がA級戦犯の靖国神社への合祀に強い不快感を示したとされるいわゆる「富田メモ」の存在だ。陛下自身、A級戦犯には相当腹に据えかねるものがあったのであろうと考えられる。
僕はね、敗けたからいうわけじゃないが、太平洋戦争開戦に於ける軍首脳部の示した方向性というのはあまりにもお粗末だと言わざる得ないと思っているのだ。
山本五十六連合艦隊司令長官は当時の首相近衛文麿に、日米開戦となった場合の見通しを聞かれて、「ぜひ私にやれと言われれば、1年や1年半は存分に暴れてごらんにいれます。しかし、その先のことは全く保証できません」と答えたという。
山本長官の意図としては恐らく、持ってせいぜい1年、そのぐらいの軍事力しかないのだから戦争は無謀、開戦に踏み切るべきではないと伝えたかったんじゃなかろうかと推察する。対日石油全面輸出禁止の制裁強化など、日本が開戦に踏み切るよう、ルーズベルト大統領にけしかれたという側面は確かにあるにせよ、アメリカは到底日本が敵う敵ではなかったのだ。国力があまりにも違い過ぎる。もしどうしても開戦をしなくてはならない状況であったのならば、結果論かもしれないが山本長官の言うように1年程度暴れまわって、程々のところで和平工作をすればよかったのである。敗けを潔く認めるのも一つの勇気だ。
クソ生意気なことを言わせてもらえば戦争とは勝ち負けそのものよりも事後のことを考えてすべきだ。明日は明日の風が吹くでは無責任過ぎる。大本営発表と称し、嘘の情報を垂れ流し国威発揚を図る暇があるならとっとと敗けを認め、日本の被害が最小限のところで白旗を揚げるべきだったと思う。
ただしである。
ただし、無能な首脳陣に翻弄され、戦場に散らした尊い命には最大限の敬意を払うべきであると思っている。特攻隊の方々をはじめ、南方で戦死した方々、シベリアの極寒の地で長期に渡り飢えで苦しんだ方々、すべてに敬意を払うべきだ。
戦争を美化する必要などまったくないが、国を慮り、尊い命を盾に日本人を守ろうとした方々になんの罪があろうか、そういった方々が祀られている靖国は宗教宗派、思想の左右、或いは自分のような無信仰を問わず、日本人なら手を合わすべきだと思うのだ。今の平和な日本があるのも彼らが国難に殉じてくれたからではないか。靖国は遺憾だと、目を背けたら戦場で散らした命は永遠に報われない。
自分が主張しているのは何も中国や韓国が騒いでいるから分祀をしろといっているのではない。そんな雑音は内政干渉も甚だしいと放っておけばよい。日本人として心の問題を言っているのだ。
合掌。