自分に金かけろ、アホ
- 2016/09/07
- 12:44
どうもMr.最底辺です。
そこそこ稼いでおり、コンサートや映画鑑賞などそれなりに文化的な生活もしている、またホームページだって作れる(そりゃあそれが仕事だからな)、そんな自分が何故にネットの掲示板では最底辺と揶揄されているのかよく分からなかったりします。俺の私生活が最底辺ならば皆さんさぞや裕福な暮らしをしているんでしょうな、実に羨ましいこって。
さらりと嫌味を噛ましつつ、俺はね、確かにフーゾクの廃業から二年間はどん底の生活をしていました。
でもね、それはイチから勉強をし直すワケですから致し方ないというか、むしろ当然のことだと思っていたワケです。その素浪人中も恐らく将来はボチボチ稼げるようになるであろうということは分かっていた、しかし、浪人生がそんなことを言っても説得力がないじゃない、だからあえて言わなかっただけで、自分的には震災という予期せぬアクシデントがあったものの、一応予定通りだと思っている。これからもどんどん稼いで行くけどね。
言っちゃ悪いがこのへんの感覚が非正規労働者の万年ライン工とは一味も二味も違うのである、ガハハ。
じゃあ万年ライン工との大きな違いは何か?
自分に投資できるか否かだと思っている。
非正規の連中って、懐が寂しいばかりか、実際、気持ちまでが貧乏臭かったりするじゃない。俺は自分を成長させるためには借金をしても自己研鑽をすべしと常々思っており、浪人中苦しい生活であっても書籍代など糧になるものであれば金に糸目をつけずジャンジャン投資をしてきた。たまたま、自分が好きだから言うわけじゃないけど、コンサートなども自己投資のひとつであり、一流のアーティストに生で触れることによって初めて分かることってあると思うんだよね。だから金を掛けている。そういった一流に対し、アマチュアのストリートミュージシャンや聞いたこともないない無名の劇団員の演技を見たって得るものなんてなにもなく、あるのは無駄に時間を費やしてしまったという徒労感だけだったりする。所詮はそこまでの残念な人達だ。
以前、知り合いに頼まれて、まったく無名のジャズシンガーのコンサートに行ってみたのだがやっぱり三流はどこまで行っても三流で、一流のアーティストを見た後の充足感みたいなものがまるでないのだ。贔屓目に見ても単なる歌の上手い人の域を出ず、絶対にこの人は大成しないだろうなということだけは見ていてよく分かった。あれから十年近く経ったがそのシンガーが売れた話はついぞ聞かない。付き合いとはいえ正直ここまで虚しかったことはなかなかない(そういった意味では貴重な体験ではあるが)。
別にコンサートじゃなくてもいい、陶芸や絵画が好きなら美術館を巡れば良いし、スポーツが好きならテレビでばっかり見るのではなく競技会場に足を運んで実際に生で見る。食べることが好きなら一流と言われている店に入ってみる。
目で見て、耳で聞き、肌で感じなければ真実って分からなかったりする。
そこで大切なのは良いものを見たという感動と、自分もまだまだだという敗北感を味わうことだ(←ここ凄く大事)。
生活が苦しいからといって現状に甘んじている奴は永遠に今のままだと思う。
この辺の感覚って性根が貧乏臭い奴には到底理解できなかったりする。せいぜい奴らに出来ることといえばジャスコの催事場で行われる、実態は単なる販促でしかない無料のミニコンサートに出掛けいくのが関の山なのだ。
もちろん自分が非正規のライン工に満足しているんならそれでいいんですよ。そこを他人がああだこうだととやかくいう筋合いはないしな。ただ、憎たらしいのはそういう奴に限って自分が無能なくせに社会が悪い、政治が悪いと騒ぐじゃん。バカだろ?知ってるけどさ。
俺から言わすと、心が貧乏な奴って、結局は家庭に於ける情操教育のさもしさが貧乏の貧乏たる原因だったりするからある意味気の毒な存在だったりしますが、そもそも奴らはセコイと質素倹約の違いが根本的に分からなかったりする。自分の場合、質素倹約については子供の頃読んだ徳川家康の話が多分に影響されているのだが、家康は天下人になった後も食事など粗末なものであり、めざしや漬物をおかずにご飯を食べていたらしいんだよね、しかし、人をもてなすときは金に糸目をつけず豪勢にもてなしたという。恐らく家康の場合、彼の性格から言って武術や学問を習うときにも要人への歓待同様、金を掛けて一流の教師に師事したと思うんだわ。
ここらへんの感覚が心の貧乏な奴には理解できず、結果的に心だけじゃなく、実生活も悲惨極まりないものだったりします。
あ、だからってインチキコンサルタントには騙されんなよ。あんなセミナーなんて百害あって一利なしだからな。
そこそこ稼いでおり、コンサートや映画鑑賞などそれなりに文化的な生活もしている、またホームページだって作れる(そりゃあそれが仕事だからな)、そんな自分が何故にネットの掲示板では最底辺と揶揄されているのかよく分からなかったりします。俺の私生活が最底辺ならば皆さんさぞや裕福な暮らしをしているんでしょうな、実に羨ましいこって。
さらりと嫌味を噛ましつつ、俺はね、確かにフーゾクの廃業から二年間はどん底の生活をしていました。
でもね、それはイチから勉強をし直すワケですから致し方ないというか、むしろ当然のことだと思っていたワケです。その素浪人中も恐らく将来はボチボチ稼げるようになるであろうということは分かっていた、しかし、浪人生がそんなことを言っても説得力がないじゃない、だからあえて言わなかっただけで、自分的には震災という予期せぬアクシデントがあったものの、一応予定通りだと思っている。これからもどんどん稼いで行くけどね。
言っちゃ悪いがこのへんの感覚が非正規労働者の万年ライン工とは一味も二味も違うのである、ガハハ。
じゃあ万年ライン工との大きな違いは何か?
自分に投資できるか否かだと思っている。
非正規の連中って、懐が寂しいばかりか、実際、気持ちまでが貧乏臭かったりするじゃない。俺は自分を成長させるためには借金をしても自己研鑽をすべしと常々思っており、浪人中苦しい生活であっても書籍代など糧になるものであれば金に糸目をつけずジャンジャン投資をしてきた。たまたま、自分が好きだから言うわけじゃないけど、コンサートなども自己投資のひとつであり、一流のアーティストに生で触れることによって初めて分かることってあると思うんだよね。だから金を掛けている。そういった一流に対し、アマチュアのストリートミュージシャンや聞いたこともないない無名の劇団員の演技を見たって得るものなんてなにもなく、あるのは無駄に時間を費やしてしまったという徒労感だけだったりする。所詮はそこまでの残念な人達だ。
以前、知り合いに頼まれて、まったく無名のジャズシンガーのコンサートに行ってみたのだがやっぱり三流はどこまで行っても三流で、一流のアーティストを見た後の充足感みたいなものがまるでないのだ。贔屓目に見ても単なる歌の上手い人の域を出ず、絶対にこの人は大成しないだろうなということだけは見ていてよく分かった。あれから十年近く経ったがそのシンガーが売れた話はついぞ聞かない。付き合いとはいえ正直ここまで虚しかったことはなかなかない(そういった意味では貴重な体験ではあるが)。
別にコンサートじゃなくてもいい、陶芸や絵画が好きなら美術館を巡れば良いし、スポーツが好きならテレビでばっかり見るのではなく競技会場に足を運んで実際に生で見る。食べることが好きなら一流と言われている店に入ってみる。
目で見て、耳で聞き、肌で感じなければ真実って分からなかったりする。
そこで大切なのは良いものを見たという感動と、自分もまだまだだという敗北感を味わうことだ(←ここ凄く大事)。
生活が苦しいからといって現状に甘んじている奴は永遠に今のままだと思う。
この辺の感覚って性根が貧乏臭い奴には到底理解できなかったりする。せいぜい奴らに出来ることといえばジャスコの催事場で行われる、実態は単なる販促でしかない無料のミニコンサートに出掛けいくのが関の山なのだ。
もちろん自分が非正規のライン工に満足しているんならそれでいいんですよ。そこを他人がああだこうだととやかくいう筋合いはないしな。ただ、憎たらしいのはそういう奴に限って自分が無能なくせに社会が悪い、政治が悪いと騒ぐじゃん。バカだろ?知ってるけどさ。
俺から言わすと、心が貧乏な奴って、結局は家庭に於ける情操教育のさもしさが貧乏の貧乏たる原因だったりするからある意味気の毒な存在だったりしますが、そもそも奴らはセコイと質素倹約の違いが根本的に分からなかったりする。自分の場合、質素倹約については子供の頃読んだ徳川家康の話が多分に影響されているのだが、家康は天下人になった後も食事など粗末なものであり、めざしや漬物をおかずにご飯を食べていたらしいんだよね、しかし、人をもてなすときは金に糸目をつけず豪勢にもてなしたという。恐らく家康の場合、彼の性格から言って武術や学問を習うときにも要人への歓待同様、金を掛けて一流の教師に師事したと思うんだわ。
ここらへんの感覚が心の貧乏な奴には理解できず、結果的に心だけじゃなく、実生活も悲惨極まりないものだったりします。
あ、だからってインチキコンサルタントには騙されんなよ。あんなセミナーなんて百害あって一利なしだからな。