若者の貧困、その1
- 2016/07/24
- 14:23
日曜なのに仕事だという、まさに貧乏暇なし、今日は栃木に出張、帰りは夜11時っすわ、わっはははっ、はぁ・・・、クソッ、こんな好い天気の日は家で寝ててぇよ(外に出掛けるんじゃなくて?)。
さて、今日のお題はその貧乏について考えてみる。テレビのニュースや新聞、ネットで話題の若者の貧困についてである。
俺が思うに、貧乏にもパターンがあり、単純に年収の多寡だけで貧困を語るべきではないと思っている。そのパターンは具体的には二つ、幸せな貧乏と不幸せな貧乏だ。
ではまず幸せな貧乏から。幸せな貧乏にも実は何パターンかあり、まず一つは介護や保育士など、業界の構造的に高収入が望めない職業に従事している人ね。高収入は望めないんだけどその職業に誇りを持ち、やりがいを感じているのであればそれは幸せな生き方だと思うのです。もちろん、どうせ同じ業務をするのなら出来うる限り、給与の高い職場を探すべきですけど本人が毎日生き生き楽しく働いているのであれば収入はあまり問題じゃない。
幸せ貧乏の二つ目、趣味や家族との時間であったり、仕事以外のものに生きがいを見出している場合。サーフィンが好きで世界中の海を渡り歩いているとか、雪山登山に命を懸けており、仕事はそのための資金作りなど、いわゆるキリギリス型の人生を歩む場合だ。老後のことを考えると確かにシャレにならなかったりもしますが少なくとも死ぬときにあれをやっておけばよかったと後悔はしないで済むと思う。これってかなり大事だ。
アリとキリギリスの寓話はどうしても勤勉に生きるアリの生き方を手本にすべしと教えられがちですけど、俺は別にそうは思わない。好きなバイオリンを弾いて面白おかしく生きた結果、最期ひもじい思いをするにせよ、たとえそれが一時的であっても密度の濃い、満たされた時間を過ごせたわけですから俺は十分幸せな人生(虫だから虫生か)だと思う。また、キリギリスの場合、バイオリンを弾かなかったら無味乾燥のつまらない一生だ、せいぜいカラスの餌になるのが関の山、だから流れ星のようにほんの一瞬でも強く輝く、そういう刹那的な生き方も人生の一つだ。世の中の人全員がキリギリスであれば日本は破綻してしまうが現実そんなことはあり得ず、社会的マイノリティがカード会社のキャッチコピーじゃないけれど、仕事以外に生きがいを見出すプライスレスな生き方があったとしてもいいと思うのだ。これも幸せな貧乏だから何も問題はないと思う(家族は迷惑でしょうけど)。
同様に一流芸人を目指すとか、有名なアーティストになってゆくゆくは東京ドームを満席にしたいという夢に向かって生きるのも、個人的にはまったく悪くないと思っている。確かに報われる可能性は限りなく低く、社会的地位のある人からすれば地に足を付いたもっと真面目な生き方をしなさいと諭されることもあるでしょうけど、本人が貧乏を覚悟の上で夢を目指しているのであればそれはそれでいい生き方だと思う。
問題は不幸せな貧乏だ。
高卒35才男性、大手企業の工場で働く非正規労働者、年収180万円、こういった奴ね。
おっと仕事の時間だ、続きは後日。
さて、今日のお題はその貧乏について考えてみる。テレビのニュースや新聞、ネットで話題の若者の貧困についてである。
俺が思うに、貧乏にもパターンがあり、単純に年収の多寡だけで貧困を語るべきではないと思っている。そのパターンは具体的には二つ、幸せな貧乏と不幸せな貧乏だ。
ではまず幸せな貧乏から。幸せな貧乏にも実は何パターンかあり、まず一つは介護や保育士など、業界の構造的に高収入が望めない職業に従事している人ね。高収入は望めないんだけどその職業に誇りを持ち、やりがいを感じているのであればそれは幸せな生き方だと思うのです。もちろん、どうせ同じ業務をするのなら出来うる限り、給与の高い職場を探すべきですけど本人が毎日生き生き楽しく働いているのであれば収入はあまり問題じゃない。
幸せ貧乏の二つ目、趣味や家族との時間であったり、仕事以外のものに生きがいを見出している場合。サーフィンが好きで世界中の海を渡り歩いているとか、雪山登山に命を懸けており、仕事はそのための資金作りなど、いわゆるキリギリス型の人生を歩む場合だ。老後のことを考えると確かにシャレにならなかったりもしますが少なくとも死ぬときにあれをやっておけばよかったと後悔はしないで済むと思う。これってかなり大事だ。
アリとキリギリスの寓話はどうしても勤勉に生きるアリの生き方を手本にすべしと教えられがちですけど、俺は別にそうは思わない。好きなバイオリンを弾いて面白おかしく生きた結果、最期ひもじい思いをするにせよ、たとえそれが一時的であっても密度の濃い、満たされた時間を過ごせたわけですから俺は十分幸せな人生(虫だから虫生か)だと思う。また、キリギリスの場合、バイオリンを弾かなかったら無味乾燥のつまらない一生だ、せいぜいカラスの餌になるのが関の山、だから流れ星のようにほんの一瞬でも強く輝く、そういう刹那的な生き方も人生の一つだ。世の中の人全員がキリギリスであれば日本は破綻してしまうが現実そんなことはあり得ず、社会的マイノリティがカード会社のキャッチコピーじゃないけれど、仕事以外に生きがいを見出すプライスレスな生き方があったとしてもいいと思うのだ。これも幸せな貧乏だから何も問題はないと思う(家族は迷惑でしょうけど)。
同様に一流芸人を目指すとか、有名なアーティストになってゆくゆくは東京ドームを満席にしたいという夢に向かって生きるのも、個人的にはまったく悪くないと思っている。確かに報われる可能性は限りなく低く、社会的地位のある人からすれば地に足を付いたもっと真面目な生き方をしなさいと諭されることもあるでしょうけど、本人が貧乏を覚悟の上で夢を目指しているのであればそれはそれでいい生き方だと思う。
問題は不幸せな貧乏だ。
高卒35才男性、大手企業の工場で働く非正規労働者、年収180万円、こういった奴ね。
おっと仕事の時間だ、続きは後日。