不寛容社会@NHKスペシャル
- 2016/06/13
- 12:51
土曜日のNHKスペシャル『不寛容社会』を見た人も多いんじゃないかな?
http://www.nhk.or.jp/ourfuture/vol5/

個人的に気になったのは番組の中でアンケートを取った「インターネットが深めているのは理解なのか対立なのか?」のコーナー。最終的には理解と対立がほぼ半々に落ち着いたのであるが、見ていてこいつらまったく分かっちゃいねぇなぁと思ったわな。
理解と対立、どちらか一方に無理やり答えを求めようとするからおかしなことになるのだ。インターネットに於ける理解と対立は「理解して対立をする」というのが本質だろう。
色々例はあるがオーソドックスなところで保守とリベラルでいこうか、ネットで言うところのネトウヨ(ネット右翼)とブサヨ(不細工左翼)だ、これなんか一番分かりやすい。ネトウヨ同士、ブサヨ同士、それぞれのカテゴリ内に於いては物凄く相互理解を示す、他方、ネトウヨとブサヨは対立を深める。とてもじゃないが対立と理解を一緒くたに扱えないではないか?
これが実社会なら別なの。上司の話はムカついても、自分がクビや左遷になる覚悟でもない限り、対立はしないで、ハイハイと聞くでしょ、お偉いさんの代理で出席した赤の他人のお葬式、まったく悲しくなくとも神妙な顔をするでしょ、井戸端会議で誰かが人の悪口を言っていたら内心どうでもよくても同調してそうよねぇと一緒になって悪口を言うでしょ、基本的に実名社会では俺みたいな特異な人間でもない限り、表面上は対立を深めたりしない。とりあえず内心対立していても理解した振りをすることが多い。理由は言わずもがな、対立をするデメリットはそのメリットを遥かに凌駕してしまうことを人は皆知っているから。
しかし匿名のネットはどうだ?
イデオロギーというか、その実そんなに大したことのない問題でさえ、いやむしろ大した問題でないから尚更か、ともかく、匿名ゆえにわざわざ見ず知らずの他人と同調する必要がない。普段虚を着飾り、素の自分を表現できず、虐げられていれば虐げられているほど余計に本音を吐露したくなる。その本音に同調してくれる人がいれば理解は深まるが、本音に反発する人がいれば対立は深まり、それはいつしか個からより大きな団へと向かう。
まあだからといって戦争はおろか、実際に襲撃したりするなどの流れには殆どならんが(殆どと言うのがミソでゼロではないのが怖いところでもあるが)。
番組の中で鴻上尚史氏が「理解できないということを理解する」のが大事だと仰っていたが確かにそれはその通りなのであり、至極もっともな意見だと思うが、スマホの普及が日本全国で7000万台を突破し、幼児と高齢者を除けば日本国民のほぼ100%に近い割合の人々がネットと接する現代に於いて、彼の高邁なご意見はあまり意味のある意見だと思えない。
ネトウヨにブサヨを理解しろといったって無理な話だし、ブサヨにネトウヨを理解しろというのも土台無理な話、変に難しく考える必要はなくネットとはそんなものだと認識しながら生きていくしかない。理解と対立の渦に身を投じるか、傍観者としてロム専(意見を述べずただ読むだけ)に徹するしかない。
あくまでも個人的な意見だが、ネットに於いては結局極論になってしまうが刑事民事を問わず、法律という一線を越えるか否かで判断するしかないと思っている。法律の範囲内であれば理解結構、対立結構、いくらムカついてもすべて自由と考えるほかはない。これが社会主義国やイスラム教など宗教支配の強い国家であれば法律云々の前にネットの許す許さざるは国家によって厳しい検閲を受け、著しく制限されることになるが少なくとも日本では共産主義に理解を求めたって自由、それだけで公安警察に逮捕されることはない。
・・・という、この意見ですら理解をまったく求めていないのにも関わらず、俺を嫌いな人からすると対立を深めるだけだったりしますが。
http://www.nhk.or.jp/ourfuture/vol5/

個人的に気になったのは番組の中でアンケートを取った「インターネットが深めているのは理解なのか対立なのか?」のコーナー。最終的には理解と対立がほぼ半々に落ち着いたのであるが、見ていてこいつらまったく分かっちゃいねぇなぁと思ったわな。
理解と対立、どちらか一方に無理やり答えを求めようとするからおかしなことになるのだ。インターネットに於ける理解と対立は「理解して対立をする」というのが本質だろう。
色々例はあるがオーソドックスなところで保守とリベラルでいこうか、ネットで言うところのネトウヨ(ネット右翼)とブサヨ(不細工左翼)だ、これなんか一番分かりやすい。ネトウヨ同士、ブサヨ同士、それぞれのカテゴリ内に於いては物凄く相互理解を示す、他方、ネトウヨとブサヨは対立を深める。とてもじゃないが対立と理解を一緒くたに扱えないではないか?
これが実社会なら別なの。上司の話はムカついても、自分がクビや左遷になる覚悟でもない限り、対立はしないで、ハイハイと聞くでしょ、お偉いさんの代理で出席した赤の他人のお葬式、まったく悲しくなくとも神妙な顔をするでしょ、井戸端会議で誰かが人の悪口を言っていたら内心どうでもよくても同調してそうよねぇと一緒になって悪口を言うでしょ、基本的に実名社会では俺みたいな特異な人間でもない限り、表面上は対立を深めたりしない。とりあえず内心対立していても理解した振りをすることが多い。理由は言わずもがな、対立をするデメリットはそのメリットを遥かに凌駕してしまうことを人は皆知っているから。
しかし匿名のネットはどうだ?
イデオロギーというか、その実そんなに大したことのない問題でさえ、いやむしろ大した問題でないから尚更か、ともかく、匿名ゆえにわざわざ見ず知らずの他人と同調する必要がない。普段虚を着飾り、素の自分を表現できず、虐げられていれば虐げられているほど余計に本音を吐露したくなる。その本音に同調してくれる人がいれば理解は深まるが、本音に反発する人がいれば対立は深まり、それはいつしか個からより大きな団へと向かう。
まあだからといって戦争はおろか、実際に襲撃したりするなどの流れには殆どならんが(殆どと言うのがミソでゼロではないのが怖いところでもあるが)。
番組の中で鴻上尚史氏が「理解できないということを理解する」のが大事だと仰っていたが確かにそれはその通りなのであり、至極もっともな意見だと思うが、スマホの普及が日本全国で7000万台を突破し、幼児と高齢者を除けば日本国民のほぼ100%に近い割合の人々がネットと接する現代に於いて、彼の高邁なご意見はあまり意味のある意見だと思えない。
ネトウヨにブサヨを理解しろといったって無理な話だし、ブサヨにネトウヨを理解しろというのも土台無理な話、変に難しく考える必要はなくネットとはそんなものだと認識しながら生きていくしかない。理解と対立の渦に身を投じるか、傍観者としてロム専(意見を述べずただ読むだけ)に徹するしかない。
あくまでも個人的な意見だが、ネットに於いては結局極論になってしまうが刑事民事を問わず、法律という一線を越えるか否かで判断するしかないと思っている。法律の範囲内であれば理解結構、対立結構、いくらムカついてもすべて自由と考えるほかはない。これが社会主義国やイスラム教など宗教支配の強い国家であれば法律云々の前にネットの許す許さざるは国家によって厳しい検閲を受け、著しく制限されることになるが少なくとも日本では共産主義に理解を求めたって自由、それだけで公安警察に逮捕されることはない。
・・・という、この意見ですら理解をまったく求めていないのにも関わらず、俺を嫌いな人からすると対立を深めるだけだったりしますが。