つまる
- 2016/05/10
- 22:51
『35~49歳の中年男性300人に聞いたところ、普段の生活で「つまらない」と感じる頻度が「増えている」「どちらかといえば増えている」と答えた男性は、実に全体の72%。中でも約半数の男性が、つまらない原因は「仕事」にあると答えている。
「昔は結果を気にせず全力でがんばれた。今は『できないものは仕方ない』と割り切っている」(42歳・旅行代理店)といった声からうかがえるのは、気力や体力をなくした中年男性のうつろな姿だ。
男の生きづらさを研究する男性学の武蔵大学助教・田中俊之氏はこう語る。
「彼らは、将来の“先が見えない”不安より、すでに結果が出ていてこれ以上の展望が望めない“先が見えてしまった”喪失感のほうが強い。男性は子供の頃から大きな夢を持てと言われて育つため、無限の可能性があった過去を美化してしまい、さまざまなものを“失った”と感じているのでしょう」
習慣化コンサルタントの古川武士氏は、中年男性の喪失感について次のように分析する。
「人間には“変化領域”と“現状領域”がある。20代は、変化にさらされるストレスの代わりに成長感が得られる“変化領域”にいるが、30~40代は安心や安定と引き換えに停滞感を感じる“現状領域”に入っていき、そのカラは厚くてなかなか抜け出せません」
また、スキルが上がってできることが増えると、かえって仕事の喜びを失うともいう。
心療内科医の海原純子氏は、人が物事に没頭した状態についてこう説明する。
「人は、達成した結果ではなく、達成するためのプロセスにしか楽しみを見出せない。10回中10回成功するような課題には退屈してしまうので、10回中5回成功し、努力すれば7回になる、くらいの課題がもっとも心地いいんです」
この没頭状態を“フロー感覚”と呼ぶが、「若い頃は、能力は低くても挑戦している実感があるが、中年になると能力が上がるぶん挑戦している手応えはなくなり、退屈さが勝るようになります」(古川氏)。
つまり、中年はどうしたって物事に夢中になれなくなるのだ。こうした要因により、日頃の姿勢が以前より「守り」「どちらかといえば守り」に入ったと答えた男性は68.7%にも及んでいる。』
(取材・文/週刊SPA)
結論から言えば普段の生活がつまらないとぼやいているサラリーマンの中年野郎がこの先、心の底から楽しく生きられるなんてことは宝くじでも当たらない限り、まずありえない。
つぼ八でくだを巻く、週末フットサルに興ずるなど、無理やり楽しいと思い込むは可能だ。しかし、本人も薄々気付いていると思うがそれはそう思い込んでいるだけの幻想に過ぎない。
かく言う俺の生活はといえば、警察に捕まったり、山○組の某組にナイフ持参で挨拶に行ったり、チンピラさらって徹底的に脅し上げたり、税務署に入られて家一軒が余裕で買えるぐらいの銭支払わさせられたり、揉め事が発生して激怒した仲間が実弾入りのピスト・・・、いやなんでもない、やめておく、とにかくこんな人生だもの、そりゃあもちろん楽しいですよ、楽しいに決まっている、楽しすぎて吐きそうだ、嗚呼あぁ・・・。
ついこないだ、そういや自分のまわりでいったい何人警察に逮捕されたことがあるんだろうと計算したら十本の指じゃ全然足りなかった、暴力団関係者を除いてだぞ(ヤクザ入れたらいったい何人だよ?)、身近な知り合い二人が自殺して、別の一人は未だ原因不明の不審死、こんな生活ってありえますか?まずないだろ?
本当の楽しさってまあ人それぞれではあるけれど、あくまでも俺の感覚でいえば常にオールオアナッシングであり、落ちたら即終了の無間地獄、たまたま運よく辿りついたら酒池肉林の桃源郷、そんな究極の選択を強いられるカイジ型の生き方だと思うのね。
俺は楽しく生きようと思う反面、一歩間違えば乞食になったり、刺されて死んだりするのもやぶさかではないと肝に銘じている。それが楽しく生きるものの覚悟とだと思うし、責任だと思う。
では、つまらないと感じているおっさんに問いたい、仕事を辞めて、今ある生活を放棄する覚悟がありますか?ないよな、無理すんな。極楽と地獄は表裏一体、コインの裏表と同じで、どっちに転ぶかは投げてみないことには分からない。物思いに耽るのはもちろん自由だが楽しく生きるというのは本当に過酷なものなのだ(しみじみ)。軽々しくつまらないなどと嘆くものではない。嘆くのは薄くなった頭頂部にだけでいい。
いやね、平々凡々な生き方を否定しているワケじゃねーの。ギリギリではあるがかろうじて女性のカテゴリーに属する嫁がいて、年頃の娘にパパキモイとなじられても、とりあえず雨風はしのげる文化住宅(タマホーム)と五年落ちの中古プリウスがある生活って、それはそれで十分幸せじゃん。バカにしているワケでもなんでもなく、本当にそう思う。
人間には与えられた天分というものがあり、アドベンチャーな人生が可能な人とそうでない人とに分けられる。どちらが偉くてどちらかが偉くないというものでもない。好き勝手におもしろおかしく生きてみたいという気持ちも分からぬでもないが家族とか家とか、失ってはいけないものがある人にアドベンチャーはやはりお奨めできない。この話を聞いてもそんなに厳しいものだとは思わないという人はよほどの天才か大馬鹿者のどちらかだと思う。それでもどうしてもやってみたいと思うならやってみなはれ、楽しすぎて三日で逃げ出すから。
「昔は結果を気にせず全力でがんばれた。今は『できないものは仕方ない』と割り切っている」(42歳・旅行代理店)といった声からうかがえるのは、気力や体力をなくした中年男性のうつろな姿だ。
男の生きづらさを研究する男性学の武蔵大学助教・田中俊之氏はこう語る。
「彼らは、将来の“先が見えない”不安より、すでに結果が出ていてこれ以上の展望が望めない“先が見えてしまった”喪失感のほうが強い。男性は子供の頃から大きな夢を持てと言われて育つため、無限の可能性があった過去を美化してしまい、さまざまなものを“失った”と感じているのでしょう」
習慣化コンサルタントの古川武士氏は、中年男性の喪失感について次のように分析する。
「人間には“変化領域”と“現状領域”がある。20代は、変化にさらされるストレスの代わりに成長感が得られる“変化領域”にいるが、30~40代は安心や安定と引き換えに停滞感を感じる“現状領域”に入っていき、そのカラは厚くてなかなか抜け出せません」
また、スキルが上がってできることが増えると、かえって仕事の喜びを失うともいう。
心療内科医の海原純子氏は、人が物事に没頭した状態についてこう説明する。
「人は、達成した結果ではなく、達成するためのプロセスにしか楽しみを見出せない。10回中10回成功するような課題には退屈してしまうので、10回中5回成功し、努力すれば7回になる、くらいの課題がもっとも心地いいんです」
この没頭状態を“フロー感覚”と呼ぶが、「若い頃は、能力は低くても挑戦している実感があるが、中年になると能力が上がるぶん挑戦している手応えはなくなり、退屈さが勝るようになります」(古川氏)。
つまり、中年はどうしたって物事に夢中になれなくなるのだ。こうした要因により、日頃の姿勢が以前より「守り」「どちらかといえば守り」に入ったと答えた男性は68.7%にも及んでいる。』
(取材・文/週刊SPA)
結論から言えば普段の生活がつまらないとぼやいているサラリーマンの中年野郎がこの先、心の底から楽しく生きられるなんてことは宝くじでも当たらない限り、まずありえない。
つぼ八でくだを巻く、週末フットサルに興ずるなど、無理やり楽しいと思い込むは可能だ。しかし、本人も薄々気付いていると思うがそれはそう思い込んでいるだけの幻想に過ぎない。
かく言う俺の生活はといえば、警察に捕まったり、山○組の某組にナイフ持参で挨拶に行ったり、チンピラさらって徹底的に脅し上げたり、税務署に入られて家一軒が余裕で買えるぐらいの銭支払わさせられたり、揉め事が発生して激怒した仲間が実弾入りのピスト・・・、いやなんでもない、やめておく、とにかくこんな人生だもの、そりゃあもちろん楽しいですよ、楽しいに決まっている、楽しすぎて吐きそうだ、嗚呼あぁ・・・。
ついこないだ、そういや自分のまわりでいったい何人警察に逮捕されたことがあるんだろうと計算したら十本の指じゃ全然足りなかった、暴力団関係者を除いてだぞ(ヤクザ入れたらいったい何人だよ?)、身近な知り合い二人が自殺して、別の一人は未だ原因不明の不審死、こんな生活ってありえますか?まずないだろ?
本当の楽しさってまあ人それぞれではあるけれど、あくまでも俺の感覚でいえば常にオールオアナッシングであり、落ちたら即終了の無間地獄、たまたま運よく辿りついたら酒池肉林の桃源郷、そんな究極の選択を強いられるカイジ型の生き方だと思うのね。
俺は楽しく生きようと思う反面、一歩間違えば乞食になったり、刺されて死んだりするのもやぶさかではないと肝に銘じている。それが楽しく生きるものの覚悟とだと思うし、責任だと思う。
では、つまらないと感じているおっさんに問いたい、仕事を辞めて、今ある生活を放棄する覚悟がありますか?ないよな、無理すんな。極楽と地獄は表裏一体、コインの裏表と同じで、どっちに転ぶかは投げてみないことには分からない。物思いに耽るのはもちろん自由だが楽しく生きるというのは本当に過酷なものなのだ(しみじみ)。軽々しくつまらないなどと嘆くものではない。嘆くのは薄くなった頭頂部にだけでいい。
いやね、平々凡々な生き方を否定しているワケじゃねーの。ギリギリではあるがかろうじて女性のカテゴリーに属する嫁がいて、年頃の娘にパパキモイとなじられても、とりあえず雨風はしのげる文化住宅(タマホーム)と五年落ちの中古プリウスがある生活って、それはそれで十分幸せじゃん。バカにしているワケでもなんでもなく、本当にそう思う。
人間には与えられた天分というものがあり、アドベンチャーな人生が可能な人とそうでない人とに分けられる。どちらが偉くてどちらかが偉くないというものでもない。好き勝手におもしろおかしく生きてみたいという気持ちも分からぬでもないが家族とか家とか、失ってはいけないものがある人にアドベンチャーはやはりお奨めできない。この話を聞いてもそんなに厳しいものだとは思わないという人はよほどの天才か大馬鹿者のどちらかだと思う。それでもどうしてもやってみたいと思うならやってみなはれ、楽しすぎて三日で逃げ出すから。