人たらし術
- 2016/05/04
- 10:40
俺の生活圏内だけでの話であり、もしかするとまるっきり的外れな話かもしれないがとりあえずここ数年気になることがあるので書いてみる。
何か気になるって若者の文字の乱雑さがとにかく目に付く。
繰り返すが単純にたまたまそういった若者ばかりと接点があるため、もしかすると世間一般ではそんなことはないのかもしれない、そこを踏まえたうえで聞いて欲しい。
それでもやっぱり、若者の字の汚さは俺の思い込みとは違うと思うな。結局、パソコンとスマホの普及により、文字を紙に書くという習慣が圧倒的に減ってきているからだと思う。恐らく高校を卒業したら殆ど紙に書く習慣はないはずだ。大学のレポートや論文だって今どきはワードで書いたりするんだろうし。
もちろん、望むと望まざるを別にしてこれからも益々デジタル化は進み、紙への依存度は加速度的に減っていく。
この辺、恐らくホリエモンあたりだと、「文字は情報伝達のツールであるから綺麗とか汚いとかはまったく関係ない、読めればそれでいい。字を上手に書きたければ楷書体のフォントをインストールしてワードなどのソフトで書けば良い。ペン習字の練習などまったく時間の無駄、そんなことをしている暇があるならプログラミングの勉強でもしてください」とでもなるのだろう(違っていたらすまん)。
ホリエモンのような宇宙人は別にして、自分のような一生庶民にとっては文字を綺麗な書けるよう練習することってまったく無駄ではないと思うんだわ。俺自身、達筆とは程遠い人間であるが(←ここ超重要!)、それでも男の割には綺麗な字を書きますねと褒められることも多い。以下が今さらさらと書いてみた文字だ。

こうして見ると確かに下手くそだな、あははは(笑)。
でもまあそれなりに読めなくもないでしょ。
今後世の中がどれだけデジタル化が進んだとしても人間が存在する限り、「情」というものはなくならないと思っている。お礼状やグリーティングカードを送るとき、ワードで書いて送るより、多少面倒でも手書きで書いたほうが相手に対しての誠意は伝わると思う。この誠意の部分ってかなり大切なような気がするんだよね。
先日の美人、不美人の話とちょっと被るけど、同じ見積もり金額を提示した営業マン二人、一人はワードで書いた杓子定規のありきたりな添え状、もう一人は丁寧に手書きで書いた添え状、どちらを採用するかといえば一般的な中小企業レベルだと手書きの方が勝つ場合が多いと思う。
ちょっと前にホリエモンが手書きの履歴書を送ってくるような人は時間をロスするのがミエミエなので絶対に採用しないといっており、賛同した先鋭的な学生も多かったと聞くがそれはあくまでもホリエモンのような宇宙人と付き合う場合であって、日本にはまだまだ旧態依然としたリクルート係の方が圧倒的多数なのだ。
古臭い浪花節的な考え方だが情に訴えるというのは日本の文化でもあり、決して悪いことではないと思う。
逆に言うと、デジタル化が進めば進むほどアナログのよさが引き出されるという側面もある。
綺麗な文字で書いた書面を受け取ると誠意のほかにも色々と思うことがある。綺麗な文字で書いた手紙を送られると、本人はもちろんのこと、子供にこれだけの文字を書かすと言うことはこの人のご両親もしっかりした人で教育やしつけに関してもうるさかった人なんだろうなぁと思い、その人を取り巻く環境のよさまで良い方向に感じられる(俺だけか?)。
もちろん、綺麗な文字で送るのは時と場合によりますよ。急いでいるときは用件だけを箇条書きにしてメールで送信すればよい。俺が言っているのはちょっとした瞬間の話ね。「夜遅くまでお疲れ様です。ほどほどにしてきりのいいところで上がり、ゆっくり体を休めなさい、たまには奥さん孝行もしろよ」と、こんな手書きのメモが机にあったらぐっとくるだろ?遅くまで頑張っている部下もぐっときてああこの人なら信用できるとなるんじゃないのか?
ま、俺の場合そこらへんを計算して書いたりするからあざといのは事実だけどさ(笑)。
いずれにせよ、手書きが不要な時代だからこそ、あえて差をつけるため手書きのスキルを身につけるのも悪くないと思う。俺流の人たらし術である。
何か気になるって若者の文字の乱雑さがとにかく目に付く。
繰り返すが単純にたまたまそういった若者ばかりと接点があるため、もしかすると世間一般ではそんなことはないのかもしれない、そこを踏まえたうえで聞いて欲しい。
それでもやっぱり、若者の字の汚さは俺の思い込みとは違うと思うな。結局、パソコンとスマホの普及により、文字を紙に書くという習慣が圧倒的に減ってきているからだと思う。恐らく高校を卒業したら殆ど紙に書く習慣はないはずだ。大学のレポートや論文だって今どきはワードで書いたりするんだろうし。
もちろん、望むと望まざるを別にしてこれからも益々デジタル化は進み、紙への依存度は加速度的に減っていく。
この辺、恐らくホリエモンあたりだと、「文字は情報伝達のツールであるから綺麗とか汚いとかはまったく関係ない、読めればそれでいい。字を上手に書きたければ楷書体のフォントをインストールしてワードなどのソフトで書けば良い。ペン習字の練習などまったく時間の無駄、そんなことをしている暇があるならプログラミングの勉強でもしてください」とでもなるのだろう(違っていたらすまん)。
ホリエモンのような宇宙人は別にして、自分のような一生庶民にとっては文字を綺麗な書けるよう練習することってまったく無駄ではないと思うんだわ。俺自身、達筆とは程遠い人間であるが(←ここ超重要!)、それでも男の割には綺麗な字を書きますねと褒められることも多い。以下が今さらさらと書いてみた文字だ。

こうして見ると確かに下手くそだな、あははは(笑)。
でもまあそれなりに読めなくもないでしょ。
今後世の中がどれだけデジタル化が進んだとしても人間が存在する限り、「情」というものはなくならないと思っている。お礼状やグリーティングカードを送るとき、ワードで書いて送るより、多少面倒でも手書きで書いたほうが相手に対しての誠意は伝わると思う。この誠意の部分ってかなり大切なような気がするんだよね。
先日の美人、不美人の話とちょっと被るけど、同じ見積もり金額を提示した営業マン二人、一人はワードで書いた杓子定規のありきたりな添え状、もう一人は丁寧に手書きで書いた添え状、どちらを採用するかといえば一般的な中小企業レベルだと手書きの方が勝つ場合が多いと思う。
ちょっと前にホリエモンが手書きの履歴書を送ってくるような人は時間をロスするのがミエミエなので絶対に採用しないといっており、賛同した先鋭的な学生も多かったと聞くがそれはあくまでもホリエモンのような宇宙人と付き合う場合であって、日本にはまだまだ旧態依然としたリクルート係の方が圧倒的多数なのだ。
古臭い浪花節的な考え方だが情に訴えるというのは日本の文化でもあり、決して悪いことではないと思う。
逆に言うと、デジタル化が進めば進むほどアナログのよさが引き出されるという側面もある。
綺麗な文字で書いた書面を受け取ると誠意のほかにも色々と思うことがある。綺麗な文字で書いた手紙を送られると、本人はもちろんのこと、子供にこれだけの文字を書かすと言うことはこの人のご両親もしっかりした人で教育やしつけに関してもうるさかった人なんだろうなぁと思い、その人を取り巻く環境のよさまで良い方向に感じられる(俺だけか?)。
もちろん、綺麗な文字で送るのは時と場合によりますよ。急いでいるときは用件だけを箇条書きにしてメールで送信すればよい。俺が言っているのはちょっとした瞬間の話ね。「夜遅くまでお疲れ様です。ほどほどにしてきりのいいところで上がり、ゆっくり体を休めなさい、たまには奥さん孝行もしろよ」と、こんな手書きのメモが机にあったらぐっとくるだろ?遅くまで頑張っている部下もぐっときてああこの人なら信用できるとなるんじゃないのか?
ま、俺の場合そこらへんを計算して書いたりするからあざといのは事実だけどさ(笑)。
いずれにせよ、手書きが不要な時代だからこそ、あえて差をつけるため手書きのスキルを身につけるのも悪くないと思う。俺流の人たらし術である。