美人、不美人の収入格差
- 2016/04/24
- 12:11
『■美人は本当にトクをしているか
「美人はトクよね」
「あいつは顔で得をしている」
そんなセリフを口にしたり、耳にした経験がある方は多いだろう。そのようなことを実感する場面が、日常生活に存在しているのは事実である。
しかし、こういうセリフはあまり公の場では口にできないのもまた現実だ。仮に政治家が、この手の発言をしたら、おそらく「アウト」となるだろう。この種の「言ってはいけない」とされることについて、大胆に言及したのが、作家・橘玲氏の新著「言ってはいけない 残酷すぎる真実」だ。
以下、同書をもとに「美貌格差」に関する「残酷すぎる真実」をご紹介しよう。「美人と不美人の生涯格差」について研究したのは、経済学者のダニエル・ハマーメッシュ。彼は多くの男女の見た目を5段階評価したうえで、それぞれの収入を調べる、という研究を行った。すると、平均点(3点)の女性を基準にした場合、4点~5点の女性は平均女性よりも8%収入が多く、逆に1~2点の女性は4%少ない、という結果が出たという。
これを大卒のサラリーマンの生涯賃金(平均約3億円)にあてはめて計算した場合、美人は約2400万円のトクをし、不美人は1200万円の損をして、その「生涯賃金格差」は3600万円にもなるのだ。
幸か不幸か、日本では、こうした社会的タブーとされるテーマに関する研究、実験は少ないが、欧米ではある程度行われている。「言ってはいけない」では、そうした様々な研究成果を紹介しつつ、普段は口にできないような「真実」に迫っている。』
(デイリー新潮)
3600万円という数字の真偽はともかく美人が収入で得する、これって当たり前の話じゃないの。
スタイルがよくて顔が綺麗というのは食べ物の美味いまずいや絵の上手い下手などと同様、絶対的な基準というものはない。そこを踏まえ、一般的な感覚からいってとりあえず美人か美人じゃないかと定義する。タレントでいえばそうだな、うん、竹内結子か、好きか嫌いかは別にして竹内結子が美人か不美人かのアンケートを取れば恐らく9割以上の人が美人に投票すると思われる、そういう存在の人をここでは美人と位置づける。
まず、美人じゃないと受験する資格すらない職業というのが存在する。アナウンサー、キャビンアテンダントなどはいくら知能の水準で合格基準に達していても不美人だと採用されないのである。たとえば女子アナ、女子アナの根本的な存在意義ってニュースを伝えることじゃない、視聴者とすればニュースという情報を得るだけであれば美人であろうとも不美人であろうとも正直どうでもいい。どこそこで殺人事件がありましたという事実を知るのに本来見た目など関係がない。だけど、各々の放送局で同じ時間帯にニュースを伝えるとするならばより美人女子アナのいるほうが視聴率は上がる。じゃあ、美人を積極的に採用しましょうよとなるのが資本主義の原理。
では、そういう特別な職種ではなく、もっと一般的な事務職や営業、接客なども考えてみる。
一般職の場合、美人が得な理由は主に二つあると思う。
一つは生理的というか、本能的というか、実態は採用する側のスケベ心でしかないのだが美人の方が不美人よりも依怙贔屓されて採用されやすいということ。
同じレベルの学力の子二人が面接に来ました、一人は美人、もう一人は不美人、どっちを採用するか、大抵の場合、美人が採用されます。面接官が女性で美人に対して強い敵意を剥き出しにすると美人の方が落とされるということもなきにもしもあらずですが殆どの企業の場合、リクルート担当者は男性なのでやはり美人特権で採用されてしまうことが多い。しかも能力が多少不美人より劣っていたとしても美人というだけで採用されてしまったりする。悲しいかなこれが現実。
次にあるのは美人の方が売り上げを上げるのに何かと有利だという理由での採用。
会社の受付や営業、接客など外部の人間と接触して売上を上げるとき、やはり美人は得なのだ。
「もしもし部長~、来週のページが埋まらなくてわたし困っているんですよぉ~。こんなこと佐々木部長にしか頼れなくて、求人1枠載せてもらえませんか~、お願いしますぅ~、にゃんにゃん」
こんなこと不美人や小汚い野郎営業マンに頼まれたらウザったくで仕方ないが、結子ちゃんに猫なで声で頼まれれば、「んもう、しょうがないな~、結子ちゃんの頼みだ、載せてあげるね、その代わり今度デートしてね」となってしまうのだ。会社もこういうことを見越して打算的に採用するのである。可愛い子にこちらの方がもっと素敵になりますよといわれれば高価な方を選んでしまう、美人のお姉さんにこの化粧品いいですよといわれたら思わず買ってしまう、綺麗な受付嬢に案内されたらそれだけで来客者の顔がほころび、その後の商談もスムーズに運ぶ、こんな例は枚挙にいとまがない。
俺はね、ルックスがよいというのも頭がよい、運動神経がよい、芸術的なセンスがあるというもの同様、一つの才能だと思っている。見た目がよいというだけで頭がパーなのにどこかの御曹司に見初められて裕福な生活を送る、こんなものは美人という才能をいかんなく発揮しただけでの話で不思議でもなんでもない。
こういうったものの積み重ねで美人と不美人との収入格差は開くばかりだ。
もちろん、いつも言うように収入の多寡だけで人生の幸福度に差異が生じるわけではない、ここでいっているのは単純に美人の方がお金をいっぱい貰えるチャンスが多いですよといっているに過ぎない。世の中には美人に生まれてきてしまったばっかりに、異常者にストーカーされ、挙句の果てに殺されてしまったなどという人間万事塞翁が馬みたいな話もあるから幸福度に関しては美人、不美人だけでは一概に断定はできない。
もし見た目だけで幸せになれると思うのならさっさと整形手術を受ければいい。胸を大きくして、おめめパッチリ二重まぶたでシャープなフェイスライン、それでその後の人生がバラ色に変わり、男にチヤホヤされながら生きたいというのであれば整形手術も決して悪いことではない(と思う)。但し、整形の場合、老後の劣化に関しては色々と問題があると思うけど・・・。
要は人生の楽しみの主軸をどこに置くかじゃないの。人間見た目じゃねぇぜ、ハートだぜと、見た目よりも心の美しさに重きを置くのも一つの生き方ですし。
「美人はトクよね」
「あいつは顔で得をしている」
そんなセリフを口にしたり、耳にした経験がある方は多いだろう。そのようなことを実感する場面が、日常生活に存在しているのは事実である。
しかし、こういうセリフはあまり公の場では口にできないのもまた現実だ。仮に政治家が、この手の発言をしたら、おそらく「アウト」となるだろう。この種の「言ってはいけない」とされることについて、大胆に言及したのが、作家・橘玲氏の新著「言ってはいけない 残酷すぎる真実」だ。
以下、同書をもとに「美貌格差」に関する「残酷すぎる真実」をご紹介しよう。「美人と不美人の生涯格差」について研究したのは、経済学者のダニエル・ハマーメッシュ。彼は多くの男女の見た目を5段階評価したうえで、それぞれの収入を調べる、という研究を行った。すると、平均点(3点)の女性を基準にした場合、4点~5点の女性は平均女性よりも8%収入が多く、逆に1~2点の女性は4%少ない、という結果が出たという。
これを大卒のサラリーマンの生涯賃金(平均約3億円)にあてはめて計算した場合、美人は約2400万円のトクをし、不美人は1200万円の損をして、その「生涯賃金格差」は3600万円にもなるのだ。
幸か不幸か、日本では、こうした社会的タブーとされるテーマに関する研究、実験は少ないが、欧米ではある程度行われている。「言ってはいけない」では、そうした様々な研究成果を紹介しつつ、普段は口にできないような「真実」に迫っている。』
(デイリー新潮)
3600万円という数字の真偽はともかく美人が収入で得する、これって当たり前の話じゃないの。
スタイルがよくて顔が綺麗というのは食べ物の美味いまずいや絵の上手い下手などと同様、絶対的な基準というものはない。そこを踏まえ、一般的な感覚からいってとりあえず美人か美人じゃないかと定義する。タレントでいえばそうだな、うん、竹内結子か、好きか嫌いかは別にして竹内結子が美人か不美人かのアンケートを取れば恐らく9割以上の人が美人に投票すると思われる、そういう存在の人をここでは美人と位置づける。
まず、美人じゃないと受験する資格すらない職業というのが存在する。アナウンサー、キャビンアテンダントなどはいくら知能の水準で合格基準に達していても不美人だと採用されないのである。たとえば女子アナ、女子アナの根本的な存在意義ってニュースを伝えることじゃない、視聴者とすればニュースという情報を得るだけであれば美人であろうとも不美人であろうとも正直どうでもいい。どこそこで殺人事件がありましたという事実を知るのに本来見た目など関係がない。だけど、各々の放送局で同じ時間帯にニュースを伝えるとするならばより美人女子アナのいるほうが視聴率は上がる。じゃあ、美人を積極的に採用しましょうよとなるのが資本主義の原理。
では、そういう特別な職種ではなく、もっと一般的な事務職や営業、接客なども考えてみる。
一般職の場合、美人が得な理由は主に二つあると思う。
一つは生理的というか、本能的というか、実態は採用する側のスケベ心でしかないのだが美人の方が不美人よりも依怙贔屓されて採用されやすいということ。
同じレベルの学力の子二人が面接に来ました、一人は美人、もう一人は不美人、どっちを採用するか、大抵の場合、美人が採用されます。面接官が女性で美人に対して強い敵意を剥き出しにすると美人の方が落とされるということもなきにもしもあらずですが殆どの企業の場合、リクルート担当者は男性なのでやはり美人特権で採用されてしまうことが多い。しかも能力が多少不美人より劣っていたとしても美人というだけで採用されてしまったりする。悲しいかなこれが現実。
次にあるのは美人の方が売り上げを上げるのに何かと有利だという理由での採用。
会社の受付や営業、接客など外部の人間と接触して売上を上げるとき、やはり美人は得なのだ。
「もしもし部長~、来週のページが埋まらなくてわたし困っているんですよぉ~。こんなこと佐々木部長にしか頼れなくて、求人1枠載せてもらえませんか~、お願いしますぅ~、にゃんにゃん」
こんなこと不美人や小汚い野郎営業マンに頼まれたらウザったくで仕方ないが、結子ちゃんに猫なで声で頼まれれば、「んもう、しょうがないな~、結子ちゃんの頼みだ、載せてあげるね、その代わり今度デートしてね」となってしまうのだ。会社もこういうことを見越して打算的に採用するのである。可愛い子にこちらの方がもっと素敵になりますよといわれれば高価な方を選んでしまう、美人のお姉さんにこの化粧品いいですよといわれたら思わず買ってしまう、綺麗な受付嬢に案内されたらそれだけで来客者の顔がほころび、その後の商談もスムーズに運ぶ、こんな例は枚挙にいとまがない。
俺はね、ルックスがよいというのも頭がよい、運動神経がよい、芸術的なセンスがあるというもの同様、一つの才能だと思っている。見た目がよいというだけで頭がパーなのにどこかの御曹司に見初められて裕福な生活を送る、こんなものは美人という才能をいかんなく発揮しただけでの話で不思議でもなんでもない。
こういうったものの積み重ねで美人と不美人との収入格差は開くばかりだ。
もちろん、いつも言うように収入の多寡だけで人生の幸福度に差異が生じるわけではない、ここでいっているのは単純に美人の方がお金をいっぱい貰えるチャンスが多いですよといっているに過ぎない。世の中には美人に生まれてきてしまったばっかりに、異常者にストーカーされ、挙句の果てに殺されてしまったなどという人間万事塞翁が馬みたいな話もあるから幸福度に関しては美人、不美人だけでは一概に断定はできない。
もし見た目だけで幸せになれると思うのならさっさと整形手術を受ければいい。胸を大きくして、おめめパッチリ二重まぶたでシャープなフェイスライン、それでその後の人生がバラ色に変わり、男にチヤホヤされながら生きたいというのであれば整形手術も決して悪いことではない(と思う)。但し、整形の場合、老後の劣化に関しては色々と問題があると思うけど・・・。
要は人生の楽しみの主軸をどこに置くかじゃないの。人間見た目じゃねぇぜ、ハートだぜと、見た目よりも心の美しさに重きを置くのも一つの生き方ですし。