タブーを承知して障害者のことを書く
- 2016/04/06
- 15:39
『人工肛門や人工ぼうこうは、病気や事故が原因で消化管や尿管が損なわれた人のための器具で、「ストーマ」と総称される。ストーマを利用している人は「オストメイト」と呼ばれる。
神奈川県座間市の入浴施設で14年4月、オストメイトの女性が入浴中に係員から退出を求められた。女性から日本オストミー協会神奈川支部を通して連絡を受けた県と座間市が、施設側に理解を求めたところ「他の客から苦情があると受け入れは難しい」と回答があった。
神奈川支部によると、15年には、仙台市のホテルで、オストメイトの女性が、他の客と一緒にならない「家族風呂」を使うよう求められるというケースがあった。ほかにもスーパー銭湯やホテルの大浴場、スポーツジムの風呂などの利用を断られるケースが各地で起きているという。
ストーマから便や尿を受け止める使い捨ての袋は「積層プラスチックフィルム」でできている。防臭性があり、熱に強く、正しく使えば排せつ物が漏れることはない。厚労省の浴場業の振興指針には「衛生上問題ない形で入浴サービスを楽しんでいただくことは可能であり、その点を正しく認識し、適切に対処することが必要」と記載されている。』
(毎日新聞)
俺の個人的な意見だということをお断りした上で書かせて頂く。当然、オメェ、そりゃあ間違っているよというお考えの方もいることでしょう。そこをご理解したうえでお読み頂きたい。
結論から言うと、ストーマを利用している方の温泉やスーパー銭湯などでの一般入浴は反対だ。
他国の障害者事情はよく分かりませんけど、少なくとも日本の障害者を取り巻く環境はかなり恵まれていると思う。電車やバスに乗れば障害者用の特別席が用意され、店舗や公共施設の駐車場見れば一番入り口に近い場所に障害者用のスペースが設けられている。また、障害者になると、等級によって差異はあるにせよ、障害手当として何がしかの金銭を受け取ることが出来る。
それってすべて健常者の善意によって成り立っているのは言うまでもない。
障害者の方が出来るだけ気持ちよく生活できるよう、健常者が社会的な負担を担う、この考えには全面的に賛成です。障害者の人が困っていたら手を差し伸べるのは人として当然です。
しかし、だからといって障害者の人が健常者から助けてもらっているという意識を忘れ、さもありなんと権利ばかりを主張するのはさすがに違うと思うのね。
我々も障害者を一人の人格として尊重するわけですから障害者の方も当然然るべき感謝の念は持つべきだと思うんだ。
極端なことをいえば健常者の大半は家族でも友人でもない赤の他人を同じ日本人という理由だけで支えあっている。そこにあるのは弱者を思いやるという気持ちだけです。
この気持ちを障害者の権利だからと、貰って当然、行使して当然と、感謝もせずにしたり顔されたらさ、せっかくの善意もなんだかなぁってなってしまうと思うんだわ(オストメイトも障害者手当が適用される)。
いくらストーマというものの衛生性が担保されているとはいえね、同じ風呂の中にクソ袋がぷかぷか浮いていたら普通はいい気持ちがしないだろう。少なくとも俺は嫌だ。本音を言えばこういう場面に遭遇したらリラックスしたくてわざわざ金払って入りに来ているのになんでこんな不快な思いをしなくてはならんのかと憤ってしまう。
これがさ、昭和40年代前半までの家庭に風呂がない神田川時代の話や災害で建てられた仮設浴場なら別だよ、だったら助け合わなくてはならない。でも今の温泉やスパ銭って別に家に風呂がないから入りに行くというワケではないじゃん(中には風呂が故障してという人もいるでしょうけど)。ほぼ百パーセントの人が行かなくとも何も困らないけど、娯楽のために利用しているのが実情じゃない、単純に汚れを落とすためだけなら家の風呂で事足りる。
俺のあくまでも勝手な言い分だけどさ、障害者の人も普段様々な恩恵を健常者の善意によって受け取っているのだからせめてこういう娯楽の場面などに於いては相手が不快だと思う行為は率先して自重すべきだと思う。それが障害者から健常者への思いやりだと思う。もちろん、これが災害時の仮設風呂なら別だよ、困ったときはお互い様、健常者が理解を示して障害者に気持ちよく使ってもらうようにするのはいうまでもない。
人間、皆が皆、自分の権利を主張してばかりいたらいさかいが絶えず、世の中つまらない争いごとばかりになってしまう。健常者と障害者を結び付けているのは制度や法律の前に情である。思いやりの情があってはじめて法律が成立する。法律があるから思いやりの心を持てというのは絶対に違う。
ストーマを着用している人も相手の立場になって考えてもらいたい。浴槽にクソ袋が浮いていたら他の人は恐らく嫌な思いをするだろうなと思えばそれは考える必要がある。あくまでもストーマについて書いたが障害者全般に言えることである。
なお、最後に言い訳をするつもりはさらさらないが障害者の人を差別したり、侮辱したりする意図は決してないことを申し付けえておく。
神奈川県座間市の入浴施設で14年4月、オストメイトの女性が入浴中に係員から退出を求められた。女性から日本オストミー協会神奈川支部を通して連絡を受けた県と座間市が、施設側に理解を求めたところ「他の客から苦情があると受け入れは難しい」と回答があった。
神奈川支部によると、15年には、仙台市のホテルで、オストメイトの女性が、他の客と一緒にならない「家族風呂」を使うよう求められるというケースがあった。ほかにもスーパー銭湯やホテルの大浴場、スポーツジムの風呂などの利用を断られるケースが各地で起きているという。
ストーマから便や尿を受け止める使い捨ての袋は「積層プラスチックフィルム」でできている。防臭性があり、熱に強く、正しく使えば排せつ物が漏れることはない。厚労省の浴場業の振興指針には「衛生上問題ない形で入浴サービスを楽しんでいただくことは可能であり、その点を正しく認識し、適切に対処することが必要」と記載されている。』
(毎日新聞)
俺の個人的な意見だということをお断りした上で書かせて頂く。当然、オメェ、そりゃあ間違っているよというお考えの方もいることでしょう。そこをご理解したうえでお読み頂きたい。
結論から言うと、ストーマを利用している方の温泉やスーパー銭湯などでの一般入浴は反対だ。
他国の障害者事情はよく分かりませんけど、少なくとも日本の障害者を取り巻く環境はかなり恵まれていると思う。電車やバスに乗れば障害者用の特別席が用意され、店舗や公共施設の駐車場見れば一番入り口に近い場所に障害者用のスペースが設けられている。また、障害者になると、等級によって差異はあるにせよ、障害手当として何がしかの金銭を受け取ることが出来る。
それってすべて健常者の善意によって成り立っているのは言うまでもない。
障害者の方が出来るだけ気持ちよく生活できるよう、健常者が社会的な負担を担う、この考えには全面的に賛成です。障害者の人が困っていたら手を差し伸べるのは人として当然です。
しかし、だからといって障害者の人が健常者から助けてもらっているという意識を忘れ、さもありなんと権利ばかりを主張するのはさすがに違うと思うのね。
我々も障害者を一人の人格として尊重するわけですから障害者の方も当然然るべき感謝の念は持つべきだと思うんだ。
極端なことをいえば健常者の大半は家族でも友人でもない赤の他人を同じ日本人という理由だけで支えあっている。そこにあるのは弱者を思いやるという気持ちだけです。
この気持ちを障害者の権利だからと、貰って当然、行使して当然と、感謝もせずにしたり顔されたらさ、せっかくの善意もなんだかなぁってなってしまうと思うんだわ(オストメイトも障害者手当が適用される)。
いくらストーマというものの衛生性が担保されているとはいえね、同じ風呂の中にクソ袋がぷかぷか浮いていたら普通はいい気持ちがしないだろう。少なくとも俺は嫌だ。本音を言えばこういう場面に遭遇したらリラックスしたくてわざわざ金払って入りに来ているのになんでこんな不快な思いをしなくてはならんのかと憤ってしまう。
これがさ、昭和40年代前半までの家庭に風呂がない神田川時代の話や災害で建てられた仮設浴場なら別だよ、だったら助け合わなくてはならない。でも今の温泉やスパ銭って別に家に風呂がないから入りに行くというワケではないじゃん(中には風呂が故障してという人もいるでしょうけど)。ほぼ百パーセントの人が行かなくとも何も困らないけど、娯楽のために利用しているのが実情じゃない、単純に汚れを落とすためだけなら家の風呂で事足りる。
俺のあくまでも勝手な言い分だけどさ、障害者の人も普段様々な恩恵を健常者の善意によって受け取っているのだからせめてこういう娯楽の場面などに於いては相手が不快だと思う行為は率先して自重すべきだと思う。それが障害者から健常者への思いやりだと思う。もちろん、これが災害時の仮設風呂なら別だよ、困ったときはお互い様、健常者が理解を示して障害者に気持ちよく使ってもらうようにするのはいうまでもない。
人間、皆が皆、自分の権利を主張してばかりいたらいさかいが絶えず、世の中つまらない争いごとばかりになってしまう。健常者と障害者を結び付けているのは制度や法律の前に情である。思いやりの情があってはじめて法律が成立する。法律があるから思いやりの心を持てというのは絶対に違う。
ストーマを着用している人も相手の立場になって考えてもらいたい。浴槽にクソ袋が浮いていたら他の人は恐らく嫌な思いをするだろうなと思えばそれは考える必要がある。あくまでもストーマについて書いたが障害者全般に言えることである。
なお、最後に言い訳をするつもりはさらさらないが障害者の人を差別したり、侮辱したりする意図は決してないことを申し付けえておく。