縄文人から紐解く人間の本質
- 2016/04/02
- 16:41
『縄文人の社会は争いが少なく平穏だった―。岡山大大学院社会文化科学研究科の松本直子教授(認知考古学)、山口大国際総合科学部の中尾央助教(科学哲学)らの研究グループが、全国の縄文遺跡で出土した人骨を調べ、暴力による死亡率を分析。欧米などのデータと比べ5分の1以下の「1%台」と算出し、英国の科学雑誌に30日発表した。
発掘調査報告書で、出土人骨の状態が確認できる国内242の遺跡から、成人の人骨1275体のデータを収集。13遺跡の23体に何らかの武器で攻撃を受けた痕跡があり、割合は1・8%だった。子どもも含めると0・9%まで下がる。岡山県内では津雲貝塚(笠岡市、国史跡)など5遺跡の113体のうち、船元貝塚(倉敷市)の1体だけ、胸部に石鏃(せきぞく)が刺さっていた。
欧米やアフリカでは、縄文期と同じ狩猟採集時代の遺跡から大量虐殺を示す人骨が発掘されるなど、暴力での死亡率が十数%を占める研究データがある。テロや紛争が頻発する世相と絡めて、人類学や哲学の分野で「戦争は人間の本能」との考えが広がりつつあるという。
今回の結果を、松本教授は「縄文期の日本列島は、狩猟採集できる食糧がまんべんなく分布し、人口密度も低いことから集団間の摩擦が少なかった」と分析。さらに「人類が必ずしも暴力的な本能を持ってはいないことも示す。戦争の原因を人の本能に求める風潮に再考を迫る一歩になる」としている。縄文人の社会は争いが少なく平穏だった―。岡山大大学院社会文化科学研究科の松本直子教授(認知考古学)、山口大国際総合科学部の中尾央助教(科学哲学)らの研究グループが、全国の縄文遺跡で出土した人骨を調べ、暴力による死亡率を分析。欧米などのデータと比べ5分の1以下の「1%台」と算出し、英国の科学雑誌に30日発表した。
発掘調査報告書で、出土人骨の状態が確認できる国内242の遺跡から、成人の人骨1275体のデータを収集。13遺跡の23体に何らかの武器で攻撃を受けた痕跡があり、割合は1・8%だった。子どもも含めると0・9%まで下がる。岡山県内では津雲貝塚(笠岡市、国史跡)など5遺跡の113体のうち、船元貝塚(倉敷市)の1体だけ、胸部に石鏃(せきぞく)が刺さっていた。
欧米やアフリカでは、縄文期と同じ狩猟採集時代の遺跡から大量虐殺を示す人骨が発掘されるなど、暴力での死亡率が十数%を占める研究データがある。テロや紛争が頻発する世相と絡めて、人類学や哲学の分野で「戦争は人間の本能」との考えが広がりつつあるという。
今回の結果を、松本教授は「縄文期の日本列島は、狩猟採集できる食糧がまんべんなく分布し、人口密度も低いことから集団間の摩擦が少なかった」と分析。さらに「人類が必ずしも暴力的な本能を持ってはいないことも示す。戦争の原因を人の本能に求める風潮に再考を迫る一歩になる」としている。』
(山陽新聞)
松本教授が提唱する、「人類が必ずしも暴力的な本能を持ってはいないことも示す」、これはさすがに違うでしょ。
縄文人が争いを好まなかったのは単純に日本の国土に対しての人口数が圧倒的に少なかったからじゃん。学説によると幅はあるが2万人から26万人程度、今の日本の人口数とは比べ物にならない、そりゃあ争いも起きませんって、だって見渡したって周りに人がいねぇーんだもん。
しかし人が集まれば争いごとは起きる。俺はね、『戦争は人間の本能』だと思っている。
スポーツが何故成立するのかということを考えれば分かりやすい。
スポーツが成立するのは対戦相手を打ちのめすことにエクスタシーを感じるということが大前提である。
競技種目によっての好き嫌いはさておき、スポーツをするのも見るのも大嫌いという人はまずいないはずだ。しかも、これはオリンピックやワールドカップの熱狂を見るまでもなく、人種を問わず人間という点で一貫している。つまり、人間は根本的に争いごとが好きなのだ。
もちろん、しっかり教育を受けていればスポーツが好きだからといってそのまま戦争が好きだということにはならず、純粋な娯楽、或いは職業としてスポーツを楽しんでいる人が大半だ。
だが、何度もいうが人は争いごとが好きなのだ。これは神様が与えた本能なのである。
その証拠に古代ローマ帝国の隆盛から現代に至るまで、兵器の変遷はあっても人間の本質は何も変わらず、今日もどこかで銃声が鳴り響いてるじゃないか。
>>ゆい^^ ちゃん
ダンディ、嗚呼ぁ~、トロけてしまいそうな響きだ。
ご存知の通り、ダンディとは程遠いおっさんですから、せめて白髪を染めましてね、気分だけでも若返りたいと思いました。
先生にはやる必要ないんじゃないのといわれましたけどね。
発掘調査報告書で、出土人骨の状態が確認できる国内242の遺跡から、成人の人骨1275体のデータを収集。13遺跡の23体に何らかの武器で攻撃を受けた痕跡があり、割合は1・8%だった。子どもも含めると0・9%まで下がる。岡山県内では津雲貝塚(笠岡市、国史跡)など5遺跡の113体のうち、船元貝塚(倉敷市)の1体だけ、胸部に石鏃(せきぞく)が刺さっていた。
欧米やアフリカでは、縄文期と同じ狩猟採集時代の遺跡から大量虐殺を示す人骨が発掘されるなど、暴力での死亡率が十数%を占める研究データがある。テロや紛争が頻発する世相と絡めて、人類学や哲学の分野で「戦争は人間の本能」との考えが広がりつつあるという。
今回の結果を、松本教授は「縄文期の日本列島は、狩猟採集できる食糧がまんべんなく分布し、人口密度も低いことから集団間の摩擦が少なかった」と分析。さらに「人類が必ずしも暴力的な本能を持ってはいないことも示す。戦争の原因を人の本能に求める風潮に再考を迫る一歩になる」としている。縄文人の社会は争いが少なく平穏だった―。岡山大大学院社会文化科学研究科の松本直子教授(認知考古学)、山口大国際総合科学部の中尾央助教(科学哲学)らの研究グループが、全国の縄文遺跡で出土した人骨を調べ、暴力による死亡率を分析。欧米などのデータと比べ5分の1以下の「1%台」と算出し、英国の科学雑誌に30日発表した。
発掘調査報告書で、出土人骨の状態が確認できる国内242の遺跡から、成人の人骨1275体のデータを収集。13遺跡の23体に何らかの武器で攻撃を受けた痕跡があり、割合は1・8%だった。子どもも含めると0・9%まで下がる。岡山県内では津雲貝塚(笠岡市、国史跡)など5遺跡の113体のうち、船元貝塚(倉敷市)の1体だけ、胸部に石鏃(せきぞく)が刺さっていた。
欧米やアフリカでは、縄文期と同じ狩猟採集時代の遺跡から大量虐殺を示す人骨が発掘されるなど、暴力での死亡率が十数%を占める研究データがある。テロや紛争が頻発する世相と絡めて、人類学や哲学の分野で「戦争は人間の本能」との考えが広がりつつあるという。
今回の結果を、松本教授は「縄文期の日本列島は、狩猟採集できる食糧がまんべんなく分布し、人口密度も低いことから集団間の摩擦が少なかった」と分析。さらに「人類が必ずしも暴力的な本能を持ってはいないことも示す。戦争の原因を人の本能に求める風潮に再考を迫る一歩になる」としている。』
(山陽新聞)
松本教授が提唱する、「人類が必ずしも暴力的な本能を持ってはいないことも示す」、これはさすがに違うでしょ。
縄文人が争いを好まなかったのは単純に日本の国土に対しての人口数が圧倒的に少なかったからじゃん。学説によると幅はあるが2万人から26万人程度、今の日本の人口数とは比べ物にならない、そりゃあ争いも起きませんって、だって見渡したって周りに人がいねぇーんだもん。
しかし人が集まれば争いごとは起きる。俺はね、『戦争は人間の本能』だと思っている。
スポーツが何故成立するのかということを考えれば分かりやすい。
スポーツが成立するのは対戦相手を打ちのめすことにエクスタシーを感じるということが大前提である。
競技種目によっての好き嫌いはさておき、スポーツをするのも見るのも大嫌いという人はまずいないはずだ。しかも、これはオリンピックやワールドカップの熱狂を見るまでもなく、人種を問わず人間という点で一貫している。つまり、人間は根本的に争いごとが好きなのだ。
もちろん、しっかり教育を受けていればスポーツが好きだからといってそのまま戦争が好きだということにはならず、純粋な娯楽、或いは職業としてスポーツを楽しんでいる人が大半だ。
だが、何度もいうが人は争いごとが好きなのだ。これは神様が与えた本能なのである。
その証拠に古代ローマ帝国の隆盛から現代に至るまで、兵器の変遷はあっても人間の本質は何も変わらず、今日もどこかで銃声が鳴り響いてるじゃないか。
>>ゆい^^ ちゃん
ダンディ、嗚呼ぁ~、トロけてしまいそうな響きだ。
ご存知の通り、ダンディとは程遠いおっさんですから、せめて白髪を染めましてね、気分だけでも若返りたいと思いました。
先生にはやる必要ないんじゃないのといわれましたけどね。