前からの読者は知っている通り、俺は超のつく合理主義者であり、結果こそがすべてだと考えている。
極端な話、カンニングですら見つからなければ結果オーライだと思っている。寝食を忘れて一生懸命勉強をしたにも関わらず、大学入試に落ちちゃったやつと、カンニングで東大に受かったやつ、どちらが世間的に見て重用されるかといえばカンニングをしててでも東大に受かった人間、これは間違いない。犯罪も見つからなければ罪じゃないのである。
要は白い猫でも黒い猫でもねずみを獲る猫が偉いのだ。
どれだけ物事に没頭して努力しようとも結果が伴わなければそんなものは何の自慢にもならない。山中伸弥教授が評価をされるのはiPS細胞を開発したから評価されるのであって何も寸暇を惜しんで研究に没頭したからではない。スポーツも同様、イチローや本田が評価されるのは結果を残しているからであって人の何倍も努力をしたからではない。
結果を評価するのは数字でしかないのだ。
ここを勘違いすると本質を見失う。また、数字を蔑ろにしてあいつは努力家だからと、感情論で取捨を判断すると大抵は後から後悔することになる。
俺は昔も今も人を評価するのはドライだが数字のみ、それが一番結果的にしこりを残さず公平でいい。
だが、人間的に好きか嫌いかを決めるのは矛盾してしまうがひたむきに努力しているやつだったりする。人間的に好きか嫌いかとビジネス的に使えるか使えないかは基本的にまったく別個であるということだ。
だからこそ、なでしこジャパンには胸を打たれる。女子サッカーの待遇は決して恵まれているものではない。チームからの年俸だけでは生活をまかない切れず、昼間は労働者として働いているものも少なくない。彼女たちはそんな逆境にも弱音を吐かず日本代表として日の丸を背負っている。これを美しくなくてなにを美しいというのか。
日本は資本主義社会である以上、数字を基準に物事を考えるのは致し方ないどころか、むしろ圧倒的に正しいことだと思っている。しかしながら人と人とのつながりが数字だけだったらそれはあまりにも寂しい人生になってしまう。心があってこそだ。