あえて言うぞ、この野郎
- 2015/03/09
- 17:48
こんなこと言うのはやっぱまずいのかな、でもまあ俺のブログだからいいよな。あえて言わせてもらう。
あと数日で震災から4年じゃんか。テレビや新聞、ネットなどのメディアでは最近またぞろ被災地がクローズアップされる機会が増えたよな。俺、どうしても腑に落ちないことがあってさ、もちろん殆どの人は真正面とはいえないまでも、それでも前向きになって必死に頑張っておられる、だけど、一部の被災者の声は正直震災にかこつけた甘えにしか聞こえないんだよね。
原発事故で住むところを失われた人は別だが、津波や家屋の倒壊で生活の基盤を失われた人って言葉は厳しいが最終的にはどこまで行っても自己責任だと思うんですよ。
「会社を失った、四年経っても職がない。なんでこんな目に・・・」
確かに震災さえなければ安定した生活が送れていたことでしょう。それは否定しない。その通りでしょう。
しかし、本当に生きるために必死であるのなら呑気なことは言っていられないじゃない。家族を食わせていくためには畑違いの肉体労働だってしなくちゃならないだろうし、肉体労働がどうしても嫌であれば望む仕事のある首都圏や仙台などに引っ越すことも視野に入れなくてはならないだろう。子供の学校が・・・、年老いた親の介護が・・・、そして何よりも自分が生まれ育った故郷を離れたくない・・・、だったらうだうだ文句を言うな。泣き言を言うんじゃねぇよ。突き詰めれば天災、誰も悪くないのだ(くれぐれも福島原発事故を除く)。
そもそも津波の被害があるような沿岸部に住んでいたのは自分だろう、これが江戸時代のように強制的に沿岸地域に住まわせられていたのならば別だが、文句をいう人に言いたい、あなたはここから引っ越しちゃいけないと国や県、市町村に強制させられていたのですか、違うでしょう。留まるのも自由、離れるのも自由だったはずだ。ご先祖様の土地云々の話は制度上まったく関係がない。
持って生まれた運というのは確かに存在する。津波のない山の手の一等地に生まれるのと、海岸沿いの何もない寒村に生まれるのとではそれからの人生、大きく違う。だけど、そこを恨んでも仕方がないことだ。出自は誰も選べない。ここはハッキリ言っておく。貧乏な家の子は金持ちの子より明らかに苦労する割合が大きい。金がないばっかりに進学を諦めた人もいることだろう。だが、本当に優秀であれば特待生というシステムで進学をすることが可能であるし、東大生が全員裕福な家庭の子であるかといえば決してそんなことはない。医者だって本気でなりたければ自治医大や防衛医科大という金が掛らず医者になれる大学もある。余談だが知人に家庭の事情で進学できず、中卒で料理人になった人がいる。彼は最終的に帝国ホテルの総料理長にまでなった。金がすべてではないが彼は大企業の重役クラスの金を貰っていた。まさに努力の賜物だ。学校の勉強の善し悪しだけで世の中が決まるわけではない(良い方がいい暮らしをし易いのは事実だが)。
限界はあるにせよ、結局、道を切り拓くのは自分自身でしかない。
遊び人の俺だって散々苦労はした。食うために必死に勉強をした。今も日々勉強だ。牢の中でなんで俺だけ捕まるんだと恨みもした、否定はしない。でもさ、仕方ねぇじゃん。起きてしまったことを嘆くよりもこれからの未来を考えることの方がよっぽど建設的だろう。だから俺は苦しくともひたすら前だけを向き続けた。もちろん、その過程で親や親友、舎弟には散々迷惑をかけた。感謝の言葉しかない。同列に扱うのは憚られるかもしれないが置かれた状況は被災者も俺も一緒だ。
生きたければやるしかねぇんだよ。恨んで物事が解決するなら好き程恨めばいい。
とはいえ、壊滅的被害を受け、400人が亡くなられたといういわき市の豊間地区を見たとき、あまりにも現実離れし過ぎて言葉を失い、暫し立ちすくむしかなかった。およそ人間の住む世界とは程遠い、底なし沼に迷い込んだかのような、非常に重苦しい気持ちになり、心臓の震えが止まらなかったのを昨日のことのように覚えている。
愛する家族や友人、恋人を亡くされた方の虚無感、絶望感は察するに余りある。それは痛いほどわかります。
だけど、やっぱり四年もたったのに文句ばっかり言っている人って俺からするとやらない理由を震災にこじつけているだけにしか思えんのだわ。右も左も見えない数カ月ならともかく、世の中は確実に変わっている。被災者全員が立ち直れずにいるのなら仕方がないが元の生活水準に戻った人も数多く、僅かではあるがむしろ震災前よりも生活水準が上がった人もいる(土建業者や建築業者だと思われる)。
泣いても笑っても一度きりの人生、辛辣なことばかり書いている俺だって本音は笑って楽しく暮らしたい。平和が一番さ。でも紆余曲折、人生山あり谷あり、色々なことがある。その色々なことをひっくるめて人生なんだと思う。泣いて、悔んで、恨んで過ごすのも人生、人の生き方だから否定はしない。だが、俺は前だけを見続ける。反省はしても後悔はしない。それが俺の生き方。俺の生き方など真似をする必要はないがテレビでバカ面さらして国や自治体の悪口を言っている奴を見るとさすがの俺も呆れてそいつをぶん殴りたくなる。
苦しかったら動け、動きたくないのなら文句を言うんじゃねぇぞ、この野郎。
あと数日で震災から4年じゃんか。テレビや新聞、ネットなどのメディアでは最近またぞろ被災地がクローズアップされる機会が増えたよな。俺、どうしても腑に落ちないことがあってさ、もちろん殆どの人は真正面とはいえないまでも、それでも前向きになって必死に頑張っておられる、だけど、一部の被災者の声は正直震災にかこつけた甘えにしか聞こえないんだよね。
原発事故で住むところを失われた人は別だが、津波や家屋の倒壊で生活の基盤を失われた人って言葉は厳しいが最終的にはどこまで行っても自己責任だと思うんですよ。
「会社を失った、四年経っても職がない。なんでこんな目に・・・」
確かに震災さえなければ安定した生活が送れていたことでしょう。それは否定しない。その通りでしょう。
しかし、本当に生きるために必死であるのなら呑気なことは言っていられないじゃない。家族を食わせていくためには畑違いの肉体労働だってしなくちゃならないだろうし、肉体労働がどうしても嫌であれば望む仕事のある首都圏や仙台などに引っ越すことも視野に入れなくてはならないだろう。子供の学校が・・・、年老いた親の介護が・・・、そして何よりも自分が生まれ育った故郷を離れたくない・・・、だったらうだうだ文句を言うな。泣き言を言うんじゃねぇよ。突き詰めれば天災、誰も悪くないのだ(くれぐれも福島原発事故を除く)。
そもそも津波の被害があるような沿岸部に住んでいたのは自分だろう、これが江戸時代のように強制的に沿岸地域に住まわせられていたのならば別だが、文句をいう人に言いたい、あなたはここから引っ越しちゃいけないと国や県、市町村に強制させられていたのですか、違うでしょう。留まるのも自由、離れるのも自由だったはずだ。ご先祖様の土地云々の話は制度上まったく関係がない。
持って生まれた運というのは確かに存在する。津波のない山の手の一等地に生まれるのと、海岸沿いの何もない寒村に生まれるのとではそれからの人生、大きく違う。だけど、そこを恨んでも仕方がないことだ。出自は誰も選べない。ここはハッキリ言っておく。貧乏な家の子は金持ちの子より明らかに苦労する割合が大きい。金がないばっかりに進学を諦めた人もいることだろう。だが、本当に優秀であれば特待生というシステムで進学をすることが可能であるし、東大生が全員裕福な家庭の子であるかといえば決してそんなことはない。医者だって本気でなりたければ自治医大や防衛医科大という金が掛らず医者になれる大学もある。余談だが知人に家庭の事情で進学できず、中卒で料理人になった人がいる。彼は最終的に帝国ホテルの総料理長にまでなった。金がすべてではないが彼は大企業の重役クラスの金を貰っていた。まさに努力の賜物だ。学校の勉強の善し悪しだけで世の中が決まるわけではない(良い方がいい暮らしをし易いのは事実だが)。
限界はあるにせよ、結局、道を切り拓くのは自分自身でしかない。
遊び人の俺だって散々苦労はした。食うために必死に勉強をした。今も日々勉強だ。牢の中でなんで俺だけ捕まるんだと恨みもした、否定はしない。でもさ、仕方ねぇじゃん。起きてしまったことを嘆くよりもこれからの未来を考えることの方がよっぽど建設的だろう。だから俺は苦しくともひたすら前だけを向き続けた。もちろん、その過程で親や親友、舎弟には散々迷惑をかけた。感謝の言葉しかない。同列に扱うのは憚られるかもしれないが置かれた状況は被災者も俺も一緒だ。
生きたければやるしかねぇんだよ。恨んで物事が解決するなら好き程恨めばいい。
とはいえ、壊滅的被害を受け、400人が亡くなられたといういわき市の豊間地区を見たとき、あまりにも現実離れし過ぎて言葉を失い、暫し立ちすくむしかなかった。およそ人間の住む世界とは程遠い、底なし沼に迷い込んだかのような、非常に重苦しい気持ちになり、心臓の震えが止まらなかったのを昨日のことのように覚えている。
愛する家族や友人、恋人を亡くされた方の虚無感、絶望感は察するに余りある。それは痛いほどわかります。
だけど、やっぱり四年もたったのに文句ばっかり言っている人って俺からするとやらない理由を震災にこじつけているだけにしか思えんのだわ。右も左も見えない数カ月ならともかく、世の中は確実に変わっている。被災者全員が立ち直れずにいるのなら仕方がないが元の生活水準に戻った人も数多く、僅かではあるがむしろ震災前よりも生活水準が上がった人もいる(土建業者や建築業者だと思われる)。
泣いても笑っても一度きりの人生、辛辣なことばかり書いている俺だって本音は笑って楽しく暮らしたい。平和が一番さ。でも紆余曲折、人生山あり谷あり、色々なことがある。その色々なことをひっくるめて人生なんだと思う。泣いて、悔んで、恨んで過ごすのも人生、人の生き方だから否定はしない。だが、俺は前だけを見続ける。反省はしても後悔はしない。それが俺の生き方。俺の生き方など真似をする必要はないがテレビでバカ面さらして国や自治体の悪口を言っている奴を見るとさすがの俺も呆れてそいつをぶん殴りたくなる。
苦しかったら動け、動きたくないのなら文句を言うんじゃねぇぞ、この野郎。