自殺論
- 2015/02/28
- 23:10
後藤浩輝騎手が自殺をした。自殺防止月間である三月を目前にしての自殺、運命とはいえ実に皮肉なものだ。
だからといって外野の人間が決してこの結果を悔やんだり、嘆いたりすべきではない。
サラリーマンの何倍もの大金を稼ぎ、綺麗な嫁さんがいて、子宝にも恵まれた、人から見て羨むような生活だったとしても本人には何か憂うべき深刻な悩みがあったのだろう(度重なる落馬による身体へのダメージか?)。
その結果、人生を全うすることよりも死を選んだ、突き詰めればそれが総てだ。だからこそ、彼の意志は最大限尊重しなくてはならない。自殺はいけないことだなどと、陳腐なことを言うのは彼に対する侮辱である。彼に敬意を表するのであれば死を真正面から受け入れる。それが彼に対する思いやりだ。
これが病気や事故、事件での死なら悔やむのも分かる。だが自分の出した精一杯の結論なのだ。それを無責任な他人がとやかく言うべきではない。
俺も失明や半身不随でパソコンのキーボードを打つことが出来なくなくなったら自決すると堅く決めている。何もこれは盲目の方や障害のある方を侮蔑しているのではない、俺の生き方の問題だ。
目が見えなくても死んじゃ駄目だ、そう言うのはたやすい。じゃあお願いです、貴方の角膜を私にください、くれますか、くれないだろう、だったら気休めを言うのはやめて欲しい。光を失った後、長期に渡り、無益な時間を過ごすことは死ぬことよりもつらい、だからこそ俺はそうなったら死ぬ。善いも悪いもない。
但しである。この論は子供には当てはまらない。
いじめがつらくて自殺をする。いじめの苦しみは学校に行かなければ簡単に解決をする。しかし、子供は視野が狭いため、分別がつかず、目の前の状況が全てであったりする。そこは大人が諭す必要がある。大人にしてみれば一笑に附すような馬鹿馬鹿しい話でも当人には切実だ。いじめだけじゃない、受験や失恋なども自殺の原因になりうる。第一志望に落ちました、卒業したら結婚をしようと決めていた彼に振られました、確かに大人からすれば笑い話だ。大学受験であれば浪人してまた受けりゃいいし、恋愛であれば世の中の半分は男と女だ、下手な鉄砲も数打ちゃそのうち当たる、悔やむより次を探せでしかない。
でも何事にも経験が浅く視野の狭い子供は回りが見えないため、自分のおかれた現況が全てだと勘違いしてしまう。そんな些細なことで死んでしまうにはあまりに惜しい。死のサインを見逃さず、生かすことが大人の責務だ。
子供のいじめは絶対に認めない。死ぬ死なないは世に出てから決めても決して遅くはない。実際後になって思えば笑い話になることも多い。
たいして大人の自殺はどんな理由であれ本人の出した結論だ、最大限尊重すべきだ。世の中にはたかだか百万の借金で死ぬ奴もいれば億の金を踏み倒す奴もいる、生き方の違いだから正しいも間違いもない(踏み倒された方は大迷惑だが)。
俺が言いたいのは死ぬ死なないというのはくれぐれも自分で決めることであるから外野が煩わしいことを言わないでくれよということである。
ただ、一つだけ言うのであれば死ぬにしても電車に飛び込むのは大勢の人が迷惑するのでやめなさいよということだ。死ぬなら迷惑を掛けずにひっそりと、フライングバード跡を濁さずだ。これは大事、死のうとしてる奴、頼むぜ、約束だぞ。
だからといって外野の人間が決してこの結果を悔やんだり、嘆いたりすべきではない。
サラリーマンの何倍もの大金を稼ぎ、綺麗な嫁さんがいて、子宝にも恵まれた、人から見て羨むような生活だったとしても本人には何か憂うべき深刻な悩みがあったのだろう(度重なる落馬による身体へのダメージか?)。
その結果、人生を全うすることよりも死を選んだ、突き詰めればそれが総てだ。だからこそ、彼の意志は最大限尊重しなくてはならない。自殺はいけないことだなどと、陳腐なことを言うのは彼に対する侮辱である。彼に敬意を表するのであれば死を真正面から受け入れる。それが彼に対する思いやりだ。
これが病気や事故、事件での死なら悔やむのも分かる。だが自分の出した精一杯の結論なのだ。それを無責任な他人がとやかく言うべきではない。
俺も失明や半身不随でパソコンのキーボードを打つことが出来なくなくなったら自決すると堅く決めている。何もこれは盲目の方や障害のある方を侮蔑しているのではない、俺の生き方の問題だ。
目が見えなくても死んじゃ駄目だ、そう言うのはたやすい。じゃあお願いです、貴方の角膜を私にください、くれますか、くれないだろう、だったら気休めを言うのはやめて欲しい。光を失った後、長期に渡り、無益な時間を過ごすことは死ぬことよりもつらい、だからこそ俺はそうなったら死ぬ。善いも悪いもない。
但しである。この論は子供には当てはまらない。
いじめがつらくて自殺をする。いじめの苦しみは学校に行かなければ簡単に解決をする。しかし、子供は視野が狭いため、分別がつかず、目の前の状況が全てであったりする。そこは大人が諭す必要がある。大人にしてみれば一笑に附すような馬鹿馬鹿しい話でも当人には切実だ。いじめだけじゃない、受験や失恋なども自殺の原因になりうる。第一志望に落ちました、卒業したら結婚をしようと決めていた彼に振られました、確かに大人からすれば笑い話だ。大学受験であれば浪人してまた受けりゃいいし、恋愛であれば世の中の半分は男と女だ、下手な鉄砲も数打ちゃそのうち当たる、悔やむより次を探せでしかない。
でも何事にも経験が浅く視野の狭い子供は回りが見えないため、自分のおかれた現況が全てだと勘違いしてしまう。そんな些細なことで死んでしまうにはあまりに惜しい。死のサインを見逃さず、生かすことが大人の責務だ。
子供のいじめは絶対に認めない。死ぬ死なないは世に出てから決めても決して遅くはない。実際後になって思えば笑い話になることも多い。
たいして大人の自殺はどんな理由であれ本人の出した結論だ、最大限尊重すべきだ。世の中にはたかだか百万の借金で死ぬ奴もいれば億の金を踏み倒す奴もいる、生き方の違いだから正しいも間違いもない(踏み倒された方は大迷惑だが)。
俺が言いたいのは死ぬ死なないというのはくれぐれも自分で決めることであるから外野が煩わしいことを言わないでくれよということである。
ただ、一つだけ言うのであれば死ぬにしても電車に飛び込むのは大勢の人が迷惑するのでやめなさいよということだ。死ぬなら迷惑を掛けずにひっそりと、フライングバード跡を濁さずだ。これは大事、死のうとしてる奴、頼むぜ、約束だぞ。