大人の常識
- 2015/02/09
- 22:22
マクドナルドの公衆無線ランは便利だ。月300円で使い放題、大変重宝している。
当然コーヒー一杯でも買って利用するのが最低限のマナーだと思うのだが最近の高校生を見ていると必ずしもそうは言えない。奴ら、何も注文せずに席を陣取り、平気で長時間読書や学習をしてやがるのだ。
もちろん大半の子はちゃんと買いますよ。しかし、確実に何割かのノータリンはいけしゃあしゃあと何も買わずに席を占領してやがる。
もうね、こういうのは親がどうしようもねぇ小市民のバカたれなんだと呆れてしまう。家庭での情操教育がキチンとなってねぇから、ああして無銭鎮座ができるのだろう。
恥を恥と思わなくなったら人間終わりだ、真っ先に死ぬしかない。生き恥をさらすことは死ぬよりも苦しい、少なくとも俺はそう思う。
社会人の中にも終電を逃し、始発までの間、マックで仮眠を取る奴がいるという。個人的には健康ランドにでも行けよと思うが、まあよい、ただ、せめて仮眠を取るなら何かしらを注文して『時間』を買うのが常識じゃねぇのか。のどが渇いていない、腹が減っていないとは別次元の話だ。それが嫌なら公園のベンチで休んでおれと思うのは間違っているのだろうか。
別にマックの肩を持つわけでもなんでもなく、人としての生き方がさもしいと言っているのだ。
俺には縁を切った友達がいる。小学校からの腐れ縁なのだが、こいつは義理張りがまったく出来やしない。一緒にどこか遠出をする。俺が車を出す。だが、奴はビタ一文何かを寄越すということはない。俺は別にガソリン代が惜しくていっているわけではない。いつもいつも悪いな、帰りは俺の奢りで飯でも食いに行こうやと言えば気持ちいいだろう。
違いますか?
少なくとも俺なら手土産を持参するとか、食事を奢るとかをする。いくら幼馴染みとはいえ、それが大人の付き合い方だろう。
タダマック仮眠も理屈は同じ。
だいたい、こんな奴が社会に出て、出世するとは思えんよな。いくら読み書きそろばんが優秀でも人間的にセコかったり、常識がなかったりすれば、上の人間はそいつに責任のある仕事を任せたりはしない。常識知らず一人のためにセコい会社だと物笑いにされてはたまったものではない。バカには理解出来ぬかもしれぬが質素倹約とセコいはまったく違うということだ。
人と人を結ぶものは情である。しかし、どんなに絆だ、愛だと叫んだところで、最低限度の金銭は親しき仲にも発生する。小学生の子供同士ならともかく、ある程度の年がいったら金は綺麗に遣わないと人間性を疑われる。
おー、寒いな、ほれと渡されたホット缶コーヒー、たかが缶コーヒー一本かもしれないが、その気持ちが大切だ、値段の問題ではない。そして今度は自分が返す。行ったり来たりして人と人との間の絆はより深くなるものだ。
それが嫌なら付き合わなければいい。簡単なこと。煩わしさを覚えるのならすべてをシャットアウトすればいい。
職場、サークルによっては休み時間になると、お茶菓子を広げるところもあるだろう。いつもいつもただ食いするんじゃなくてよう、たまには自分でも差し入れするのだ。どうしても金を遣うことにためらいがあるのならお茶菓子に手を付けるな。散々飲み食いしておいて一銭の金をを出せない奴は卑しすぎる。
年齢立場職業を問わず、一人の人間として世の中を見回したとき、人に偉いもクソもない、皆対等なのだ。対等であればこそ、大人の付き合いをすることで社会の秩序は平穏無事に保たれる。俺は何も私財をなげうって散在しろといっているわけではない。ありがとうの言葉も大事だがやっぱり大人なんだからなにがしかの金銭は発生しますよというのが俺の考え方である。
金は汚く稼いで綺麗に遣う、これが身上さ、てやんでい。
当然コーヒー一杯でも買って利用するのが最低限のマナーだと思うのだが最近の高校生を見ていると必ずしもそうは言えない。奴ら、何も注文せずに席を陣取り、平気で長時間読書や学習をしてやがるのだ。
もちろん大半の子はちゃんと買いますよ。しかし、確実に何割かのノータリンはいけしゃあしゃあと何も買わずに席を占領してやがる。
もうね、こういうのは親がどうしようもねぇ小市民のバカたれなんだと呆れてしまう。家庭での情操教育がキチンとなってねぇから、ああして無銭鎮座ができるのだろう。
恥を恥と思わなくなったら人間終わりだ、真っ先に死ぬしかない。生き恥をさらすことは死ぬよりも苦しい、少なくとも俺はそう思う。
社会人の中にも終電を逃し、始発までの間、マックで仮眠を取る奴がいるという。個人的には健康ランドにでも行けよと思うが、まあよい、ただ、せめて仮眠を取るなら何かしらを注文して『時間』を買うのが常識じゃねぇのか。のどが渇いていない、腹が減っていないとは別次元の話だ。それが嫌なら公園のベンチで休んでおれと思うのは間違っているのだろうか。
別にマックの肩を持つわけでもなんでもなく、人としての生き方がさもしいと言っているのだ。
俺には縁を切った友達がいる。小学校からの腐れ縁なのだが、こいつは義理張りがまったく出来やしない。一緒にどこか遠出をする。俺が車を出す。だが、奴はビタ一文何かを寄越すということはない。俺は別にガソリン代が惜しくていっているわけではない。いつもいつも悪いな、帰りは俺の奢りで飯でも食いに行こうやと言えば気持ちいいだろう。
違いますか?
少なくとも俺なら手土産を持参するとか、食事を奢るとかをする。いくら幼馴染みとはいえ、それが大人の付き合い方だろう。
タダマック仮眠も理屈は同じ。
だいたい、こんな奴が社会に出て、出世するとは思えんよな。いくら読み書きそろばんが優秀でも人間的にセコかったり、常識がなかったりすれば、上の人間はそいつに責任のある仕事を任せたりはしない。常識知らず一人のためにセコい会社だと物笑いにされてはたまったものではない。バカには理解出来ぬかもしれぬが質素倹約とセコいはまったく違うということだ。
人と人を結ぶものは情である。しかし、どんなに絆だ、愛だと叫んだところで、最低限度の金銭は親しき仲にも発生する。小学生の子供同士ならともかく、ある程度の年がいったら金は綺麗に遣わないと人間性を疑われる。
おー、寒いな、ほれと渡されたホット缶コーヒー、たかが缶コーヒー一本かもしれないが、その気持ちが大切だ、値段の問題ではない。そして今度は自分が返す。行ったり来たりして人と人との間の絆はより深くなるものだ。
それが嫌なら付き合わなければいい。簡単なこと。煩わしさを覚えるのならすべてをシャットアウトすればいい。
職場、サークルによっては休み時間になると、お茶菓子を広げるところもあるだろう。いつもいつもただ食いするんじゃなくてよう、たまには自分でも差し入れするのだ。どうしても金を遣うことにためらいがあるのならお茶菓子に手を付けるな。散々飲み食いしておいて一銭の金をを出せない奴は卑しすぎる。
年齢立場職業を問わず、一人の人間として世の中を見回したとき、人に偉いもクソもない、皆対等なのだ。対等であればこそ、大人の付き合いをすることで社会の秩序は平穏無事に保たれる。俺は何も私財をなげうって散在しろといっているわけではない。ありがとうの言葉も大事だがやっぱり大人なんだからなにがしかの金銭は発生しますよというのが俺の考え方である。
金は汚く稼いで綺麗に遣う、これが身上さ、てやんでい。