分かりあえない
- 2015/01/17
- 10:26
人は分かりあえないということを分かりあっていると気持ちがすこぶる楽になる。
法律を犯さず、他人に迷惑を掛けなければ、それが一般的に変人と言われるタイプの人間であってもそもそも分かりあえないものなのだから我関せずでイチイチ腹を立てる必要もない。
宗教、政治、思想、このへんの問題は基本的に方向性が同じ人同士でしか分かりあえない。分かりあおうとするから衝突するのだ、だったら自分の意見だけを発信してあとは各人の受け取り方に任せてればいい。
その結果、こちら側に方向性が変わる人も出てくるかもしれない。方向性が変わらない人との距離感はそのまま、近付く必要はまったくなく、こちら側に向いたその人とだけ仲良くすればいいんじゃないかと思う。
確かに社会に出れば多様な人と出会う、三人いれば派閥が出来るのたとえじゃないがそれこそ色んな人に出会い、人はとかくシンパとアンチに分けたがる。大企業であれば尚更だろう。
でも、アンチであっても特に迷惑を掛けられなければいがみ合う必要はまったくなく、基本的に上っ面だけの当たり障りのない関係を構築していれば問題はない。
それを無理に分かりあおうだとか、或いは徹底的に排除しようとすると、本来為すべき業務以外のところでひどく疲弊してしまう。
労働とは基本的に疲れるものなのだ。計算をして疲れた、旋盤をして疲れた、運転をして疲れた、立ち仕事で疲れた・・・、とにかく疲れるのだ。業務でこれだけ疲れるのに、さらに人間関係でまで疲れたくはない。
ともすれば、労働の疲れはやりがいを伴った心地よい疲れであり、人によっては快感とすら思えるのかもしれない、しかし、業務そのものには深い愛着があるにも関わらず、意味不明なバカと関わったばっかりに居ずらくなり職場をあとにするものが少なくない。
むしろ、リストラを除けば退職理由のトップは人間関係の悩みなんじゃないかと思う。
分かりあおうとするから苦悩する、はじめから分かりあえないものだと思っていれば無駄に疲弊をせずとも済む。誤解を恐れずにいえば親兄弟夫婦間であっても心のそこから分かりあうのは到底不可能だと思っている。
もちろん、仲良く楽しく暮らすことは出来るが100%自分の生き写しという人間は世界中どこを探してもいない。生物学上、唯一、同一遺伝子である一卵性の双子、三つ子ですらやはり考え方に差異があるのは当然だ。世の中には一卵性双生児として生まれながらいがみ合っている兄弟もいることだろう。なんら不思議ではない。
確かに分かりあう必要はないと言いながら自分も仕事をするうえでは仮想の敵を作るようにしている。それはライバルの企業であったり、同一の部署にいる同僚であったりと。しかしながら相手が憎くて敵を作るということではなく、あくまでも自分が戦うための目標、指標にしているだけである。
まあ俺が間違っているのでしょうけど、家庭、学校、職場、そして一部を除いた宗教、分かりあいましょうという教育をするじゃない、それがそもそもの誤りだと思うんだよねぇ。
議論をして相手を屈伏させることは可能かもしれない。数字や論拠を説明され、反論の余地もないほど叩きのめされるということもあるだろう。
でも、心の中までは変えられない。もしかすると、ははぁーっ、参りました、せんせーの弟子にしてくださいとひれ伏すこともあるかもしれないが大半はなんだバカヤロー、重箱の隅をつっつくような揚げ足を取りやがって、ぜってぇいつかテメエをぶっ潰してやるからなだったりする。言い負かされた方の心の中に灯る憎悪の炎は延々とくすぶり続け、いつしか些細なことから爆発大炎上し、ついには殺人事件にまで発展する恐れすらある。
人は分かりあえない、また分かりあう必要もない、こう思っていれば無駄に疲れずに済む。
ですので、ボクのことはほっといてください。
法律を犯さず、他人に迷惑を掛けなければ、それが一般的に変人と言われるタイプの人間であってもそもそも分かりあえないものなのだから我関せずでイチイチ腹を立てる必要もない。
宗教、政治、思想、このへんの問題は基本的に方向性が同じ人同士でしか分かりあえない。分かりあおうとするから衝突するのだ、だったら自分の意見だけを発信してあとは各人の受け取り方に任せてればいい。
その結果、こちら側に方向性が変わる人も出てくるかもしれない。方向性が変わらない人との距離感はそのまま、近付く必要はまったくなく、こちら側に向いたその人とだけ仲良くすればいいんじゃないかと思う。
確かに社会に出れば多様な人と出会う、三人いれば派閥が出来るのたとえじゃないがそれこそ色んな人に出会い、人はとかくシンパとアンチに分けたがる。大企業であれば尚更だろう。
でも、アンチであっても特に迷惑を掛けられなければいがみ合う必要はまったくなく、基本的に上っ面だけの当たり障りのない関係を構築していれば問題はない。
それを無理に分かりあおうだとか、或いは徹底的に排除しようとすると、本来為すべき業務以外のところでひどく疲弊してしまう。
労働とは基本的に疲れるものなのだ。計算をして疲れた、旋盤をして疲れた、運転をして疲れた、立ち仕事で疲れた・・・、とにかく疲れるのだ。業務でこれだけ疲れるのに、さらに人間関係でまで疲れたくはない。
ともすれば、労働の疲れはやりがいを伴った心地よい疲れであり、人によっては快感とすら思えるのかもしれない、しかし、業務そのものには深い愛着があるにも関わらず、意味不明なバカと関わったばっかりに居ずらくなり職場をあとにするものが少なくない。
むしろ、リストラを除けば退職理由のトップは人間関係の悩みなんじゃないかと思う。
分かりあおうとするから苦悩する、はじめから分かりあえないものだと思っていれば無駄に疲弊をせずとも済む。誤解を恐れずにいえば親兄弟夫婦間であっても心のそこから分かりあうのは到底不可能だと思っている。
もちろん、仲良く楽しく暮らすことは出来るが100%自分の生き写しという人間は世界中どこを探してもいない。生物学上、唯一、同一遺伝子である一卵性の双子、三つ子ですらやはり考え方に差異があるのは当然だ。世の中には一卵性双生児として生まれながらいがみ合っている兄弟もいることだろう。なんら不思議ではない。
確かに分かりあう必要はないと言いながら自分も仕事をするうえでは仮想の敵を作るようにしている。それはライバルの企業であったり、同一の部署にいる同僚であったりと。しかしながら相手が憎くて敵を作るということではなく、あくまでも自分が戦うための目標、指標にしているだけである。
まあ俺が間違っているのでしょうけど、家庭、学校、職場、そして一部を除いた宗教、分かりあいましょうという教育をするじゃない、それがそもそもの誤りだと思うんだよねぇ。
議論をして相手を屈伏させることは可能かもしれない。数字や論拠を説明され、反論の余地もないほど叩きのめされるということもあるだろう。
でも、心の中までは変えられない。もしかすると、ははぁーっ、参りました、せんせーの弟子にしてくださいとひれ伏すこともあるかもしれないが大半はなんだバカヤロー、重箱の隅をつっつくような揚げ足を取りやがって、ぜってぇいつかテメエをぶっ潰してやるからなだったりする。言い負かされた方の心の中に灯る憎悪の炎は延々とくすぶり続け、いつしか些細なことから爆発大炎上し、ついには殺人事件にまで発展する恐れすらある。
人は分かりあえない、また分かりあう必要もない、こう思っていれば無駄に疲れずに済む。
ですので、ボクのことはほっといてください。