土台無理な話
- 2015/01/15
- 20:50
ムハンマドの風刺画であるがこれはもはや表現の自由を超えているような気がする。
これがまだイスラム国やアルカイダを小馬鹿にする風刺であるのならパンチの効いたブラックジョークだと思うが全イスラム教徒の拠り所であるムハンマドを揶揄するのはさすがに意味が違うでしょう。
テロを是とせず、純粋にムハンマドを信仰している敬虔なイスラム教徒からすれば表現の自由という名を借りた、いわば言葉の暴力でしかないと思う。
宗教とはちょっと違うが、もし日本で天皇陛下を小馬鹿にする風刺画をどこかの出版社が掲載したら、今回のパリのテロ事件同様確実に死人が出るだろう。
この辺解釈が難しいのだが例えば安倍総理をアイコラしてヒトラーにするのはウイットに富んだ風刺であると思う。もしかすると自民党や安倍さんの政治団体は猛烈に抗議するかもしれないが、だからといって国民を巻き込んで迄の大きなうねりにはならんと思う。
しかし、天皇陛下は別である。陛下が日本人の心の拠り所になっている以上、決して汚(けが)してはいけないのだ。
ムハンマドも同じ。件の出版社がそもそもどのような経緯からそもそもイスラム教を侮蔑したのかは分からない。
アルカイダやイスラム国の極悪非道さに心を痛めるのは重々理解できるが、奴らの悪業はイスラム教の中でもかなり異質なものだろう。イスラム圏の大半の人は暴力を望んでいないと思う。それを十把一絡げにしてヘタレムハンマドみたいなことを描けばそりゃあイスラムの人々から反感を食らうだろうよ。その結果が今回のテロだ。
確かにテロはとんでもないのだがムハンマドを小馬鹿にしなきゃテロは起きなかった。結果論かもしれないが道理だろう。
テロを肯定するわけじゃないが俺からするとやられて当然だという思いもある。
表現の自由も結構だが触れちゃいけないものに触れる以上、暴力やテロももれなくついてくるものだと思わなくてはならない。それが嫌ならわざわざ触れなければいいのである。いつも言うように好きでライオンの檻に入った以上、結果は自己責任なのだ。歌舞伎町でボッタくられた、だったら歌舞伎町になど行かなきゃいい(この例えは違うか、笑)。
シャルリーエブド社が今後もイスラムを風刺していくのであれば残念ながら暴力というおまけがくっついてくる。
個人的には謝罪をしてイスラム関連の風刺を今後一切行わないと宣言する方がよっぽど格好いいと思うけど真っ向からメンチを切っていくところを見るとやはり違うんだろうな。俺からするとどうも格好よさを履き違えている気がするぞ。今回発行した週刊誌を見てると出版社自体が死んだ仲間への手向けなのかどうかは知らんが薄っぺらい正義を気取ったヒロイズムに酔っているとしか思えん。
こんなことをやってりゃいつかまたテロは起きると思う。直接シャルリーエブド社がターゲットにならずとも、フランス人観光客が首をはねられたりするかもしれない。しゃあない、屈する屈しない以前にやめねぇーんだもん。
何度も言うがテロは悪だ。
ただ考え方の相違なのだが、テロと言葉の暴力、たまたま非イスラム国家の理屈ではテロの方が重罪というだけであり、それがすなわちイスラムの国の人に通用するかといえばさにあらず、イスラム教徒にはアラーの神を冒涜する言葉の暴力の方がテロ行為より罪深いのである。この議論はどちらかの国民が絶滅しない限り、一生平行線だ。分かりあおうというのが土台無理な話なのである。
だからいいんじゃねーの、宗教戦争が勃発しても。
これがまだイスラム国やアルカイダを小馬鹿にする風刺であるのならパンチの効いたブラックジョークだと思うが全イスラム教徒の拠り所であるムハンマドを揶揄するのはさすがに意味が違うでしょう。
テロを是とせず、純粋にムハンマドを信仰している敬虔なイスラム教徒からすれば表現の自由という名を借りた、いわば言葉の暴力でしかないと思う。
宗教とはちょっと違うが、もし日本で天皇陛下を小馬鹿にする風刺画をどこかの出版社が掲載したら、今回のパリのテロ事件同様確実に死人が出るだろう。
この辺解釈が難しいのだが例えば安倍総理をアイコラしてヒトラーにするのはウイットに富んだ風刺であると思う。もしかすると自民党や安倍さんの政治団体は猛烈に抗議するかもしれないが、だからといって国民を巻き込んで迄の大きなうねりにはならんと思う。
しかし、天皇陛下は別である。陛下が日本人の心の拠り所になっている以上、決して汚(けが)してはいけないのだ。
ムハンマドも同じ。件の出版社がそもそもどのような経緯からそもそもイスラム教を侮蔑したのかは分からない。
アルカイダやイスラム国の極悪非道さに心を痛めるのは重々理解できるが、奴らの悪業はイスラム教の中でもかなり異質なものだろう。イスラム圏の大半の人は暴力を望んでいないと思う。それを十把一絡げにしてヘタレムハンマドみたいなことを描けばそりゃあイスラムの人々から反感を食らうだろうよ。その結果が今回のテロだ。
確かにテロはとんでもないのだがムハンマドを小馬鹿にしなきゃテロは起きなかった。結果論かもしれないが道理だろう。
テロを肯定するわけじゃないが俺からするとやられて当然だという思いもある。
表現の自由も結構だが触れちゃいけないものに触れる以上、暴力やテロももれなくついてくるものだと思わなくてはならない。それが嫌ならわざわざ触れなければいいのである。いつも言うように好きでライオンの檻に入った以上、結果は自己責任なのだ。歌舞伎町でボッタくられた、だったら歌舞伎町になど行かなきゃいい(この例えは違うか、笑)。
シャルリーエブド社が今後もイスラムを風刺していくのであれば残念ながら暴力というおまけがくっついてくる。
個人的には謝罪をしてイスラム関連の風刺を今後一切行わないと宣言する方がよっぽど格好いいと思うけど真っ向からメンチを切っていくところを見るとやはり違うんだろうな。俺からするとどうも格好よさを履き違えている気がするぞ。今回発行した週刊誌を見てると出版社自体が死んだ仲間への手向けなのかどうかは知らんが薄っぺらい正義を気取ったヒロイズムに酔っているとしか思えん。
こんなことをやってりゃいつかまたテロは起きると思う。直接シャルリーエブド社がターゲットにならずとも、フランス人観光客が首をはねられたりするかもしれない。しゃあない、屈する屈しない以前にやめねぇーんだもん。
何度も言うがテロは悪だ。
ただ考え方の相違なのだが、テロと言葉の暴力、たまたま非イスラム国家の理屈ではテロの方が重罪というだけであり、それがすなわちイスラムの国の人に通用するかといえばさにあらず、イスラム教徒にはアラーの神を冒涜する言葉の暴力の方がテロ行為より罪深いのである。この議論はどちらかの国民が絶滅しない限り、一生平行線だ。分かりあおうというのが土台無理な話なのである。
だからいいんじゃねーの、宗教戦争が勃発しても。