愛の定義
- 2014/12/29
- 23:21
男女の愛、俺から言わすとそんなものは互いに見返りを求める打算の愛でしかない。
どんなに、好きだ、惚れたといったところで愛は醒めるものだと考えている。もちろん世の中には相思相愛、死ぬまで深い愛情で結ばれているというご夫婦もいらっしゃるのでしょうが果たして本当か、実際そんな例は稀有も稀有、出会った当時、付き合い始めた当時と同じ気持ちで一生を終えられるのかといえば正直疑問だというのが持論だ。
言葉は悪いが男女の愛には常に『打算』が見え隠れしている。
どんなに好きな男であっても甲斐性がなけりゃ、千年の恋も醒めるだろう。男だってそうさ、一緒に暮らすようになればそれまで見えなかったところまでもが否応無しに見えてくるようになる。人間だ、完璧な人などおらず、皆、がさつなところや、相容れない部分もあるだろう(反対に完璧過ぎるのも欠点)。嫌いにまではならなくともやはり不快に思うこともあるだろう、そこを許せるか許せないかは結局打算でしかない。目をつむる程度のことであれば愛を継続するし、許し難ければ愛を停止する。
結婚だって同じ、結婚こそ打算の極みだろう。この人と結婚をして、プラスマイナスを考えたときプラスが多ければ結婚を決めるのだろうし、マイナスが多ければ結婚を踏み止まる。
ちなみに、このプラスマイナスは金銭のことではない。もちろん金銭も含まれるが例えば彼は真面目で優しい性格だから結婚後もきっと楽しい生活を送れるだろうという総括的に考えたときのプラスマイナスだ。金銭、職業、性格、義理の親、親戚、交友関係、地域、身体的特徴など、もろもろを考え、残りの人生、彼(彼女)に賭けてもいいと思うから婚姻届に判を押すのだろう。
当然打算であるから計算が外れることもあり、外れれば離婚する。
また、男女間の愛情には自分も愛するから、あなたも私を愛してくださいという見返りが常に求められる。あげたのだから同等か、それ以上を返せと見返りを要求している時点で打算的なのだ。
対して、無償の愛には打算という概念がない。
俺が甥二人を目に入れても痛くないと想う気持ちには打算などない。見返りなど求めてはいない。腹を立てることはあっても縁が切れるということなどありえない。まさに無償の愛だ。
先日よく当たるという性格診断テストを受けてみた。恋愛感は以下の通りだ。
『多情多感なタイプなのですが、恋愛は確かな判断力に裏打ちされ、冷静な計算を忘れてしまうような事は、殆ど無いタイプでも有ります。色事には非常に関心の高い方で有りながら、骨の髄から溺れたり、熱中したりはしないタイプです。』
あはははっ、当たってる。男も女も間にあるのは打算だと思っているから溺れたり熱中したりすることなどない。また、プライドを捨てて女と付き合うくらいなら意地を通して振られた方がよっぽど格好いいと思っている。
自分の欠点なのだが仮に誰かを好きになったとしても、これは一過性の風邪を引いたみたいなもの、その内熱も下がるさと、醒めた思いでもう一人自分が俺を冷静に分析してしまっている。
だが、無償の愛にそれはない。
今更、自分の性格だ、変わることもなけりゃ、変える必要もない。また、他人にこの考えを強要する必要もない。偏屈だと笑いたくば笑えばいいさ。
こうして割り切って考えていればつまらない人生ではあるが少なくとも恋愛で失敗することはなくなる。
俺はそれでいいと思っている。
俺は俺、人は人、小保方は晴子。
どんなに、好きだ、惚れたといったところで愛は醒めるものだと考えている。もちろん世の中には相思相愛、死ぬまで深い愛情で結ばれているというご夫婦もいらっしゃるのでしょうが果たして本当か、実際そんな例は稀有も稀有、出会った当時、付き合い始めた当時と同じ気持ちで一生を終えられるのかといえば正直疑問だというのが持論だ。
言葉は悪いが男女の愛には常に『打算』が見え隠れしている。
どんなに好きな男であっても甲斐性がなけりゃ、千年の恋も醒めるだろう。男だってそうさ、一緒に暮らすようになればそれまで見えなかったところまでもが否応無しに見えてくるようになる。人間だ、完璧な人などおらず、皆、がさつなところや、相容れない部分もあるだろう(反対に完璧過ぎるのも欠点)。嫌いにまではならなくともやはり不快に思うこともあるだろう、そこを許せるか許せないかは結局打算でしかない。目をつむる程度のことであれば愛を継続するし、許し難ければ愛を停止する。
結婚だって同じ、結婚こそ打算の極みだろう。この人と結婚をして、プラスマイナスを考えたときプラスが多ければ結婚を決めるのだろうし、マイナスが多ければ結婚を踏み止まる。
ちなみに、このプラスマイナスは金銭のことではない。もちろん金銭も含まれるが例えば彼は真面目で優しい性格だから結婚後もきっと楽しい生活を送れるだろうという総括的に考えたときのプラスマイナスだ。金銭、職業、性格、義理の親、親戚、交友関係、地域、身体的特徴など、もろもろを考え、残りの人生、彼(彼女)に賭けてもいいと思うから婚姻届に判を押すのだろう。
当然打算であるから計算が外れることもあり、外れれば離婚する。
また、男女間の愛情には自分も愛するから、あなたも私を愛してくださいという見返りが常に求められる。あげたのだから同等か、それ以上を返せと見返りを要求している時点で打算的なのだ。
対して、無償の愛には打算という概念がない。
俺が甥二人を目に入れても痛くないと想う気持ちには打算などない。見返りなど求めてはいない。腹を立てることはあっても縁が切れるということなどありえない。まさに無償の愛だ。
先日よく当たるという性格診断テストを受けてみた。恋愛感は以下の通りだ。
『多情多感なタイプなのですが、恋愛は確かな判断力に裏打ちされ、冷静な計算を忘れてしまうような事は、殆ど無いタイプでも有ります。色事には非常に関心の高い方で有りながら、骨の髄から溺れたり、熱中したりはしないタイプです。』
あはははっ、当たってる。男も女も間にあるのは打算だと思っているから溺れたり熱中したりすることなどない。また、プライドを捨てて女と付き合うくらいなら意地を通して振られた方がよっぽど格好いいと思っている。
自分の欠点なのだが仮に誰かを好きになったとしても、これは一過性の風邪を引いたみたいなもの、その内熱も下がるさと、醒めた思いでもう一人自分が俺を冷静に分析してしまっている。
だが、無償の愛にそれはない。
今更、自分の性格だ、変わることもなけりゃ、変える必要もない。また、他人にこの考えを強要する必要もない。偏屈だと笑いたくば笑えばいいさ。
こうして割り切って考えていればつまらない人生ではあるが少なくとも恋愛で失敗することはなくなる。
俺はそれでいいと思っている。
俺は俺、人は人、小保方は晴子。