こんなこと言うのは本来不謹慎なのでしょうが座間市の事件に関して言えば被害者にまったく感情移入が出来ないんだよねぇ~。
もちろん今後捜査が進み、白石容疑者の犯行が事実であると法的に認定されれば死刑以外に選択肢はないのであるが結局のところ殺された女の子達って自分の意志で白石に会ったわけでしょ、本気で死にたいと思っていたのであれば自殺願望が成就されて結果オーライであるし、死ぬつもりはそもそもなかったが物見遊山的なふわふわした気持ちで出掛けて行ったというのであればアホ過ぎで自業自得、いずれにせよ、俺から言わすと自己責任なんだわ。
これが闇の職安事件のようにたまたまそこを通り掛かったという理由だけで通り魔的に殺害されてしまったというのであれば別、被害者になんら落ち度はなく、犯人達に強い憤りを覚え、きゃつらウジ虫どもは髪の毛一本残らぬようもっとも凄惨な方法で惨殺してやりたい、その思いしかないのだが今回の事件はいつも言うように、知能が足りない物好きな女がわざわざ口開いて待っているライオンのいる檻の中に飛び込んで喰われてしまったと、そうとしか言いようがないんだわ。
また、菅官房長官がツイッターの利用規制を指示したらしいがそれもあんまり意味ないわな。
アメリカの銃乱射事件は前にも書きましたけど銃が簡単に手に入るという、アメリカ特有の風土病でしかないがツイッターがあるからこういった事件が起きるというのは思考を停止したあまりに短絡的な発想でしかない。
ツイッターを規制するのであれば大切なのは規制よりもツイッターを利用する前の段階にあるITリテラシー教育。
例えばクルマ。
クルマは人を殺す悪魔の道具ですか、違うでしょう。上手にクルマと付き合っていくよう、家庭での交通教育に加え、小学生に上がると学校でも交通ルールを教える。こうしてクルマは生活になくてはならないものであると同時に、一歩間違うと怪我をしたり、命を落としたりするものだということを知る。
ネットも同じ。表現の自由という憲法の制約もあり完璧な規制など出来やしないし、仮にツイッターを規制したってどうせ類似のものは雨後の竹の子のように次から次へと出てくる。それであればネットを総括してどうしたら正しくインターネットと付き合っていけるのかを家庭や学校で教えた方がよっぽど建設的。
その上でネット絡みの事件が起きるのであればそれはもはや出来の悪い脳みそしか与えなかった親を恨むべき話。