挫折の意味を知る
- 2014/03/26
- 00:14
震災の時、このブログに付き合ってくれてた連中はよく分かっていると思うがあの時俺は人生で初めて挫折感というものを味わった。
挫折であり、くれぐれも勘違いしないで頂きたいのは敗北ではない。敗北はこれまでも散々味わっている。
挫折と敗北はまるで意味が違う。
敗北は言うなればスポーツの負けと一緒。悔しいのは確かだが別にどうってことはない。練習してまた相手に戦いを挑めばいいか、或いは競技そのものをやめてしまえばいい。
しかし、挫折は違う。
敗北が骨折なら挫折は心が折れてしまうことだ。
立ち直るまでに半年も掛かり、途中倒れて救急車で運ばれたりもした。
ただ、今となって言えることは一つ、挫折も経験することが出来て本当によかったと思っている。
強がるわけでもなんでもない、震災以前、挫折を味わったことなど一度もない。震災がなければ挫折感を味あわずに人生の幕を閉じたかもしれない。
また、敗北することなど真の挫折に比べれば屁でもないことを認識出来た。
もちろん、人の挫折や敗北の価値観などそれぞれで、万物を司る宇宙という神の戯れである大地震よりも奥さんに浮気がばれる方がよっぽど怖いという人もいれば会社や学校でのポジション争いこそが人生のすべてだと考えている人もいるだろう。
別に何が正しくて何が誤りなのかという話ではない。
ただ、俺はそう思ったという話である。
ここから先は実に不謹慎な話であるからあまり真に受けないで頂きたいのであるが、どんな悲惨な戦争よりも大震災の恐怖は図りし得ないのである。
何故なら戦争でどんなに多くの命が亡くなろうともそれは人間同士の所詮は椅子取りゲームなのである。
お釈迦様の手のひらの上で踊らされていた孫悟空と同じであり、本人達は必死で戦っているようであっても宇宙全体からすれば単なる経済活動の一コマでしかなく、宇宙レベルで考えると何千万人死のうが勝った負けたも実はまったく大した話でなかったりする。
しかし、宇宙という神様が暇つぶしにちょいと地球揺らすと人間は抗うすべをなくし、ただひたすら茫然と立ちすくむしかない。
宗教的な話ではない。また哲学でもない。
宇宙全体から見れば宗教すらもお釈迦様の手の上の出来事なのである。
もしかすると戦争を経験したお年寄りの方からすると、バカなことを言うな、戦争の方がもっと悲惨だというかもしれない。でもそれは死者数であったり、破壊され尽くされた建物の数であったりと、あくまでも人間の目から見た物理的な尺度の話であり俺が考える本当の恐怖とは意味が違う。
ま、話がこんがらがってしまい、自分でもどうまとめていいか分からなくなってしまったが(笑)、ただ一つ確実に言えることは戦いを挑み、負け続けることなど恥ずべきことでもなんでもないことだということ震災を通して再認識出来た。
ゆえに神の暇つぶし以外に怖いものなど何もないということがよーく分かった。
これで遠慮くなく負けられるというわけである(笑)。
サラリーマンでも俺みたいなクズでもそうだが人生は一度きり、やらずに後悔はしたくないものだ。
やって失敗することより、やらずに後悔することの方が俺にはよっぽど大きく感じる。
挫折であり、くれぐれも勘違いしないで頂きたいのは敗北ではない。敗北はこれまでも散々味わっている。
挫折と敗北はまるで意味が違う。
敗北は言うなればスポーツの負けと一緒。悔しいのは確かだが別にどうってことはない。練習してまた相手に戦いを挑めばいいか、或いは競技そのものをやめてしまえばいい。
しかし、挫折は違う。
敗北が骨折なら挫折は心が折れてしまうことだ。
立ち直るまでに半年も掛かり、途中倒れて救急車で運ばれたりもした。
ただ、今となって言えることは一つ、挫折も経験することが出来て本当によかったと思っている。
強がるわけでもなんでもない、震災以前、挫折を味わったことなど一度もない。震災がなければ挫折感を味あわずに人生の幕を閉じたかもしれない。
また、敗北することなど真の挫折に比べれば屁でもないことを認識出来た。
もちろん、人の挫折や敗北の価値観などそれぞれで、万物を司る宇宙という神の戯れである大地震よりも奥さんに浮気がばれる方がよっぽど怖いという人もいれば会社や学校でのポジション争いこそが人生のすべてだと考えている人もいるだろう。
別に何が正しくて何が誤りなのかという話ではない。
ただ、俺はそう思ったという話である。
ここから先は実に不謹慎な話であるからあまり真に受けないで頂きたいのであるが、どんな悲惨な戦争よりも大震災の恐怖は図りし得ないのである。
何故なら戦争でどんなに多くの命が亡くなろうともそれは人間同士の所詮は椅子取りゲームなのである。
お釈迦様の手のひらの上で踊らされていた孫悟空と同じであり、本人達は必死で戦っているようであっても宇宙全体からすれば単なる経済活動の一コマでしかなく、宇宙レベルで考えると何千万人死のうが勝った負けたも実はまったく大した話でなかったりする。
しかし、宇宙という神様が暇つぶしにちょいと地球揺らすと人間は抗うすべをなくし、ただひたすら茫然と立ちすくむしかない。
宗教的な話ではない。また哲学でもない。
宇宙全体から見れば宗教すらもお釈迦様の手の上の出来事なのである。
もしかすると戦争を経験したお年寄りの方からすると、バカなことを言うな、戦争の方がもっと悲惨だというかもしれない。でもそれは死者数であったり、破壊され尽くされた建物の数であったりと、あくまでも人間の目から見た物理的な尺度の話であり俺が考える本当の恐怖とは意味が違う。
ま、話がこんがらがってしまい、自分でもどうまとめていいか分からなくなってしまったが(笑)、ただ一つ確実に言えることは戦いを挑み、負け続けることなど恥ずべきことでもなんでもないことだということ震災を通して再認識出来た。
ゆえに神の暇つぶし以外に怖いものなど何もないということがよーく分かった。
これで遠慮くなく負けられるというわけである(笑)。
サラリーマンでも俺みたいなクズでもそうだが人生は一度きり、やらずに後悔はしたくないものだ。
やって失敗することより、やらずに後悔することの方が俺にはよっぽど大きく感じる。