天分の才
- 2013/11/12
- 21:23
『陸上界で活躍した日本のトップアスリートの為末大さん(40)がツイッターで、「やればできると言うがそれは成功者の言い分であり、例えばアスリートとして成功するためには アスリート向きの体で生まれたかどうかが99%重要なことだ」と持論を展開した。すると、「身も蓋もない」「道は努力で切り開くもの」などと批判が殺到し「炎上」した。 』
炎上する理由がまったく分からんのだが…。
発明王エジソンは天才は1%のひらめきと99%の努力だといったという。
この場合、大事なのは努力ではなく、1%のひらめきの方だからな、勘違いすんなよ、エジソンが言いたかったのはまさに為末と同じで生まれ持った資質がない奴はいくら努力しても残念ながら徒労に終わるということ、人生そんなに甘かない。だろ?
だって、努力がすべて報われんならみんなイチローや本田になっちまう。そんなわけないじゃん。イチローとまるっきり同じトレーニングメニューをこなしてもイチローにはなれっこない。当たり前。
バカがいくら努力したところで医者や弁護士にはなれない。
もしかしたら医者や弁護士のなかにも幼少期バカと言われていた奴もいるかもしれないがそれこそ1%のひらめきを持った人間であり、そいつはバカなんじゃなくてたまたまガキの頃は勉強をしなかっただけ。
分かります?
確かに人間ある程度努力することによって何の分野であっても成長はします。それは否定しない。
しかし、必ずといっていいほど頭打ちになる。
理由は言わずもがな、天分の才がないからだ。
天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らずと福沢諭吉は大層なことを吹きまくったが、人の上に人を作るんだよ。
悲しいかなそれが真理です。
俺は昔からそう思っていたよ、それこそ中学ぐらいのうちからね。
俺はそこそこ勉強は出来た。中学校の時は常に全校で20番以内に入っていた。
でもね、とても学者で生きられるような脳みそだとは思っておらず、どんなに努力をしても学問の道で生きるのは無理だと開き直っていた。
仮に必死扱いて勉強したところでせいぜい上がってもいいとこ10番手ぐらいまでが関の山でさ、20番が10番になったところでたいした違いなんかねぇだろ?
だったらそんなにしゃかりきになってまでやる必要はねぇ、テキトーに90点ぐらい取っときゃ親もガタガタ言わねぇだろうし、ええだろうと、ガキのくせに妙に達観していた(笑)。
結局人間向き不向きがあんだから、天才になれずともそこを伸ばせばいいんじゃないかと思う。
我が子がもし身近にいたら少なくとも僕はそういう教育方針です。
炎上する理由がまったく分からんのだが…。
発明王エジソンは天才は1%のひらめきと99%の努力だといったという。
この場合、大事なのは努力ではなく、1%のひらめきの方だからな、勘違いすんなよ、エジソンが言いたかったのはまさに為末と同じで生まれ持った資質がない奴はいくら努力しても残念ながら徒労に終わるということ、人生そんなに甘かない。だろ?
だって、努力がすべて報われんならみんなイチローや本田になっちまう。そんなわけないじゃん。イチローとまるっきり同じトレーニングメニューをこなしてもイチローにはなれっこない。当たり前。
バカがいくら努力したところで医者や弁護士にはなれない。
もしかしたら医者や弁護士のなかにも幼少期バカと言われていた奴もいるかもしれないがそれこそ1%のひらめきを持った人間であり、そいつはバカなんじゃなくてたまたまガキの頃は勉強をしなかっただけ。
分かります?
確かに人間ある程度努力することによって何の分野であっても成長はします。それは否定しない。
しかし、必ずといっていいほど頭打ちになる。
理由は言わずもがな、天分の才がないからだ。
天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らずと福沢諭吉は大層なことを吹きまくったが、人の上に人を作るんだよ。
悲しいかなそれが真理です。
俺は昔からそう思っていたよ、それこそ中学ぐらいのうちからね。
俺はそこそこ勉強は出来た。中学校の時は常に全校で20番以内に入っていた。
でもね、とても学者で生きられるような脳みそだとは思っておらず、どんなに努力をしても学問の道で生きるのは無理だと開き直っていた。
仮に必死扱いて勉強したところでせいぜい上がってもいいとこ10番手ぐらいまでが関の山でさ、20番が10番になったところでたいした違いなんかねぇだろ?
だったらそんなにしゃかりきになってまでやる必要はねぇ、テキトーに90点ぐらい取っときゃ親もガタガタ言わねぇだろうし、ええだろうと、ガキのくせに妙に達観していた(笑)。
結局人間向き不向きがあんだから、天才になれずともそこを伸ばせばいいんじゃないかと思う。
我が子がもし身近にいたら少なくとも僕はそういう教育方針です。