死刑執行
- 2013/04/27
- 21:45
昨日死刑が執行された、安倍政権になり、2度目、計5人の執行である。
やるな、谷垣(笑)。
俺、生まれ変わっても公務員になるのだけは死んでも嫌なのだが、死刑を執行する刑務官だけは心底憧れる。
だって合法的に人を殺せんだぞ、そんなん羨ましいに決まってる。強いて言うなら糞尿にまみれた遺体を処理すんのが嫌なだけで死刑執行そのものはどう考えたって楽しいのは間違いない。
なんでも死刑執行をした当日は午後から休みになり、特別手当てが支給され、2万円貰えるらしいじゃん。
俺なんか午後休も手当てもいらねぇからむしろどんどんやらせろって思う。
人殺しはやったことねぇから分からんが恐らく死刑執行のボタンを押す瞬間、俺ならエクスタシーのあまり、きっと射精をしてしまうだろう。
射精はしなくとも勃起は確実にするね、ソッコー便所に駆け込んでオナニーだよね。
笑い話でもなんでもねぇから。
傭兵に行く人や戦場カメラマンってさ、なんのかんの言っても命のやりとりをする場面が大好きだから危ない場所にいくわけだろ。
人民の解放だとか、ジャーナリズムだとかと結局偉そうなことを言っても、目の前で人が死んだり、人を殺したりすることが単純に楽しいんだよ。
まさに血沸き肉踊る、素敵なことですよね。
だからって勘違いすんなよ、テロを起こしたり、無差別殺傷事件を起こしたりするつもりは毛の先程もない。
死刑になるようなクズを殺すのがどう見ても楽しそうだってこと。至って単純な話だ。
話はちょっと変わるが列車の運転手は人をひき殺しても不可抗力ゆえになんの罪に問われない(当然警察の事情聴取はあるが)。
自殺者がホームから飛び降りる瞬間、列車は時速100キロ以上出ているのに、運転手からするとすべてがスローモーションにように見えるらしい。
俺だったら間違いなくハネ殺す瞬間、ニヤッとしてしまうね。
自殺者もある意味死刑囚と同じで現世に存在する意義がなくなったわけであるから殺してしまっても別段構わないと考える。それが赤の他人なら尚更だ。
実はさ、俺、子供の頃からずーっとこんなふうに思ってきたんだよね。
普通の人と生死に関する尺度が違うのだと思う。
子供の頃は普通じゃないと悩みつつも募る感情はどうしようなく、知らず知らずのうち、心の中に欝屈する思いを蓄積させてきたんだけど、確か、あれは中三の時だったと思うのだが知る人ぞ知る、BOΦWYの名曲『MORAL』を聴いて脳天に雷が落ちたような衝撃が落ちた。
『作詞:氷室京介
作曲:氷室京介
人の不幸は大好きサ 人の不幸は大好きサ
人の不幸は大好きサ 人の不幸は大好きサ
あいつが自殺したって時も俺はニヤッと笑っちまった
祭り気分が大好きなのサ
ただの野次馬根性だけさ
だけどその場に出たら
決まりきった顔をしてるのサ
神妙な顔の下の含み笑いはかくし通して
WHO…それがモラルさ』
この氷室京介の書いた詞が胸に刺さり、俺が死刑囚や自殺願望のある奴を殺してみたいと思うのはむしろ自然な感覚なのだと思った。
別に悪くはない。
運動神経がいいとか、頭がいいとか、優しいとか、絵がうまいとかと一緒の言うなれば一つ個性。
何度も言うが俺は殺人鬼ではない。子供や年寄りはいたわらなくてはならないと思うし、蚊や蝿などの虫であっても人に害をなさない限りむやみやたらと殺生をするもんではないと思っている。
余談だが釣りは好きだが餌のミミズやゴカイを針に刺すのも実は忍びなく思うぐらいで、矛盾してしまうが人間のエゴで釣り上げて魚の命を奪ってしまうのも果たしていいものなのかと疑問に感じる。
また、犬や猫などの動物は大好きで無残に殺害されたりするのを報道で見たりすると心の底から怒りを覚え、殺した奴を無残に切り刻んで殺害してやりたくなる。
まさにそれだ。
死んで然るべき人間をこの手で殺すことのエクスタシー。
別にいいよ、サイコパスだと思っても。
理解して貰おうとなどもとより思ってはいない。
やるな、谷垣(笑)。
俺、生まれ変わっても公務員になるのだけは死んでも嫌なのだが、死刑を執行する刑務官だけは心底憧れる。
だって合法的に人を殺せんだぞ、そんなん羨ましいに決まってる。強いて言うなら糞尿にまみれた遺体を処理すんのが嫌なだけで死刑執行そのものはどう考えたって楽しいのは間違いない。
なんでも死刑執行をした当日は午後から休みになり、特別手当てが支給され、2万円貰えるらしいじゃん。
俺なんか午後休も手当てもいらねぇからむしろどんどんやらせろって思う。
人殺しはやったことねぇから分からんが恐らく死刑執行のボタンを押す瞬間、俺ならエクスタシーのあまり、きっと射精をしてしまうだろう。
射精はしなくとも勃起は確実にするね、ソッコー便所に駆け込んでオナニーだよね。
笑い話でもなんでもねぇから。
傭兵に行く人や戦場カメラマンってさ、なんのかんの言っても命のやりとりをする場面が大好きだから危ない場所にいくわけだろ。
人民の解放だとか、ジャーナリズムだとかと結局偉そうなことを言っても、目の前で人が死んだり、人を殺したりすることが単純に楽しいんだよ。
まさに血沸き肉踊る、素敵なことですよね。
だからって勘違いすんなよ、テロを起こしたり、無差別殺傷事件を起こしたりするつもりは毛の先程もない。
死刑になるようなクズを殺すのがどう見ても楽しそうだってこと。至って単純な話だ。
話はちょっと変わるが列車の運転手は人をひき殺しても不可抗力ゆえになんの罪に問われない(当然警察の事情聴取はあるが)。
自殺者がホームから飛び降りる瞬間、列車は時速100キロ以上出ているのに、運転手からするとすべてがスローモーションにように見えるらしい。
俺だったら間違いなくハネ殺す瞬間、ニヤッとしてしまうね。
自殺者もある意味死刑囚と同じで現世に存在する意義がなくなったわけであるから殺してしまっても別段構わないと考える。それが赤の他人なら尚更だ。
実はさ、俺、子供の頃からずーっとこんなふうに思ってきたんだよね。
普通の人と生死に関する尺度が違うのだと思う。
子供の頃は普通じゃないと悩みつつも募る感情はどうしようなく、知らず知らずのうち、心の中に欝屈する思いを蓄積させてきたんだけど、確か、あれは中三の時だったと思うのだが知る人ぞ知る、BOΦWYの名曲『MORAL』を聴いて脳天に雷が落ちたような衝撃が落ちた。
『作詞:氷室京介
作曲:氷室京介
人の不幸は大好きサ 人の不幸は大好きサ
人の不幸は大好きサ 人の不幸は大好きサ
あいつが自殺したって時も俺はニヤッと笑っちまった
祭り気分が大好きなのサ
ただの野次馬根性だけさ
だけどその場に出たら
決まりきった顔をしてるのサ
神妙な顔の下の含み笑いはかくし通して
WHO…それがモラルさ』
この氷室京介の書いた詞が胸に刺さり、俺が死刑囚や自殺願望のある奴を殺してみたいと思うのはむしろ自然な感覚なのだと思った。
別に悪くはない。
運動神経がいいとか、頭がいいとか、優しいとか、絵がうまいとかと一緒の言うなれば一つ個性。
何度も言うが俺は殺人鬼ではない。子供や年寄りはいたわらなくてはならないと思うし、蚊や蝿などの虫であっても人に害をなさない限りむやみやたらと殺生をするもんではないと思っている。
余談だが釣りは好きだが餌のミミズやゴカイを針に刺すのも実は忍びなく思うぐらいで、矛盾してしまうが人間のエゴで釣り上げて魚の命を奪ってしまうのも果たしていいものなのかと疑問に感じる。
また、犬や猫などの動物は大好きで無残に殺害されたりするのを報道で見たりすると心の底から怒りを覚え、殺した奴を無残に切り刻んで殺害してやりたくなる。
まさにそれだ。
死んで然るべき人間をこの手で殺すことのエクスタシー。
別にいいよ、サイコパスだと思っても。
理解して貰おうとなどもとより思ってはいない。