Sometimes
- 2020/06/18
- 22:12
ステイホーム中、キアヌ・リーヴスの『ジョン・ウィック:パラベラム』を借りてきてウィスキーを飲みながら見ていたのが、さっぱり内容を覚えていない。もちろん寝落ちはしていない、なのにまったく覚えていない。初めて酒を飲んで記憶をなくした。
生まれてこの方、どんなにべろんべろんに酔っぱらっても記憶をなくすということはなく、確かに酔えば呂律は回らなくなり、千鳥足になるが、記憶はしっかりとしているというのが密かな自慢であり、その甲斐あってか酒席での失敗はたったの一度もない。
だが、今回完全に記憶を失った。
とはいえ、映画が終わり、テレビの電源を落として、便所に行き、小便を垂れて布団に入り寝たことは覚えている。肝心の映画がまったく記憶にないのだ。図書館の中で敵の刺客とナイフを使って殺し合いをしているシーンだけは辛うじて覚えているが、果たしてあれはなんだったのか・・・。
別に酒を飲んで記憶をなくそうが、自宅での出来事であるからそれ自体は大した問題ではないのだが、俺が心配しているというか、諦めの境地というか、ああ、これも老化現象の一つなんだなと思って嫌になる。
最近、あまりにも本や新聞が読みづらくて眼科に行って視力検査をした。老眼が進み、ピントが合わないのだという。一応、今の医学で合わせられるギリギリのコンタクトレンズを作ったがやはりしっくりいかず、近頃ではハズキルーペもどき(ハズキルーペは高いのであくまでももどき)を使って本を読む有様である。
酒だけじゃなく、すべてに於いて老化現象が進んでいる。幸い、ハゲとは今ところ無縁だが、20日にいっぺんの白髪染めは欠かせない。
35才を過ぎたあたりで、あっ、体力が落ちていると実感することが多くなった。それまで持ち上げられた重い物でも変わらず持ち上げられるのだが、とにかく息が切れるのだ。近頃は息が切れる以前に持てなくなっていることが多い。
人は生まれた瞬間から死に向かって歩みだし、老いるということは途中早逝しなかったということでもあるからとても幸せなことである。
だが、やはり一抹の寂しさがあるのも事実。
サラリーマンの方であれば定年退職も人生の通過点として祝うべきであろうが、俺のような根無し草にはそんな大そうなものなどない。死ぬまで自転車を漕ぎ続けなければ倒れてしまう。これが漕ぎ続けられるうちはいい、俺だっていつかはパタリと倒れるのだ。倒れるまでに残された時間はせいぜい20年、下手すると10年だってあり得る。
好き勝手に生き、本当に幸せだと思う反面、結局、俺の人生、なにを残してきただろうかと心が重くなることもある。
今更だが、学生時代にもっと勉強して、そこそこの大学に入り、そこそこの企業か役所に就職して、平凡でも幸せな家庭を築き、子の成長だけを楽しみに生きる生き方もしてみたかったなと、思うことがある。自分でドロップアウトしておきながらなにを虫のいいことを言ってやがるとお叱りを受けそうだがまあ思うだけであるからそこは勘弁してほしい。
とりとめのない話になってしまったが、たまにはね、Sometimes。
生まれてこの方、どんなにべろんべろんに酔っぱらっても記憶をなくすということはなく、確かに酔えば呂律は回らなくなり、千鳥足になるが、記憶はしっかりとしているというのが密かな自慢であり、その甲斐あってか酒席での失敗はたったの一度もない。
だが、今回完全に記憶を失った。
とはいえ、映画が終わり、テレビの電源を落として、便所に行き、小便を垂れて布団に入り寝たことは覚えている。肝心の映画がまったく記憶にないのだ。図書館の中で敵の刺客とナイフを使って殺し合いをしているシーンだけは辛うじて覚えているが、果たしてあれはなんだったのか・・・。
別に酒を飲んで記憶をなくそうが、自宅での出来事であるからそれ自体は大した問題ではないのだが、俺が心配しているというか、諦めの境地というか、ああ、これも老化現象の一つなんだなと思って嫌になる。
最近、あまりにも本や新聞が読みづらくて眼科に行って視力検査をした。老眼が進み、ピントが合わないのだという。一応、今の医学で合わせられるギリギリのコンタクトレンズを作ったがやはりしっくりいかず、近頃ではハズキルーペもどき(ハズキルーペは高いのであくまでももどき)を使って本を読む有様である。
酒だけじゃなく、すべてに於いて老化現象が進んでいる。幸い、ハゲとは今ところ無縁だが、20日にいっぺんの白髪染めは欠かせない。
35才を過ぎたあたりで、あっ、体力が落ちていると実感することが多くなった。それまで持ち上げられた重い物でも変わらず持ち上げられるのだが、とにかく息が切れるのだ。近頃は息が切れる以前に持てなくなっていることが多い。
人は生まれた瞬間から死に向かって歩みだし、老いるということは途中早逝しなかったということでもあるからとても幸せなことである。
だが、やはり一抹の寂しさがあるのも事実。
サラリーマンの方であれば定年退職も人生の通過点として祝うべきであろうが、俺のような根無し草にはそんな大そうなものなどない。死ぬまで自転車を漕ぎ続けなければ倒れてしまう。これが漕ぎ続けられるうちはいい、俺だっていつかはパタリと倒れるのだ。倒れるまでに残された時間はせいぜい20年、下手すると10年だってあり得る。
好き勝手に生き、本当に幸せだと思う反面、結局、俺の人生、なにを残してきただろうかと心が重くなることもある。
今更だが、学生時代にもっと勉強して、そこそこの大学に入り、そこそこの企業か役所に就職して、平凡でも幸せな家庭を築き、子の成長だけを楽しみに生きる生き方もしてみたかったなと、思うことがある。自分でドロップアウトしておきながらなにを虫のいいことを言ってやがるとお叱りを受けそうだがまあ思うだけであるからそこは勘弁してほしい。
とりとめのない話になってしまったが、たまにはね、Sometimes。