哲学
- 2019/12/04
- 11:19
前回『分』について書きましたが、この分というものは非常に知るのが難しい代物。
只今、「ヒトラーの正体 (小学館新書) ・舛添 要一・著」という本を読んでいるのですが、ヒトラーも分を間違えてしまった典型(ついでに言うと著者の舛添氏も、笑)。
ホロコーストは別にして、ヒトラー自身は大変優秀な政治家であった。既婚女性には働かず専業主婦を奨励するなど、数字のレトリックはあったにせよ、失業率40%という驚異的な数字を、ヒトラーはわずか4年という短期間でなんと3%にまで低下させ、インフレで喘ぐドイツ経済を見事立て直した。オーストリアを併合して領土を拡大したあたりまでで止めておけばヒトラーは間違いなく名宰相としてドイツ史に名を残したはずである。
結果論かもしれないが、ソ連を征服して、イギリスを支配下に置くなんてことは完全にドイツの分を超えてしまっている。
これは旧日本軍も同様。国力を比較したとき、どう転んでもアメリカに敵うはすがないのだ。
人には与えられた天分というものがある。
その天分を決して超えてはいけないというのが俺の人生哲学。
現在はインターネットのお陰で情報の民主化が起こり、アイディアそのものにあまり価値がなくなっている。一部の特権階級だけが有益な情報を独占して、自分のような底辺の人間にはなにも享受できないという絶望的な時代とは違う。とりあえず生活するぐらいの富であればインターネットを駆使することによって簡単に情報を得ることが出来る。
先日調べものをするため、図書館に出掛けた。ネットで喰うためにはネットにない情報こそが珠玉であるため、図書館は情報の宝庫であったりする。
俺が行く図書館は新聞の折り込みに入ってくる求人チラシをご丁寧にファイリングして、自由に閲覧できるようにしている。行政のそのサービス自体は雇用促進という観点からもいいと思うのだが、三十代前半の若者がその求人チラシを食い入るように閲覧しているのである。ちなみにこの若者は求人チラシが入る日曜日になると毎週朝一番にチャリで来館して1時間以上チラシとにらめっこしている。少なくとも俺は日曜日に行くたびに見ている。
求人情報なんてチラシを発行している会社であれば同時に自社の運営サイトやIndeedにも掲載されるため、わざわざ紙のチラシを閲覧しなくともスマホで手に入るのだ。タウンワークやバイトルなどの紙媒体をわざわざ貰いに行く必要なんかない。サイト版のタウンワークやバイトルを見れば十分。しかも、一般的にサイト情報は新聞の折り込みよりも早く、ほとんどが前日までにはサイトにアップされている。奴は随分無駄なことをしているなと正直呆れた。恐らくああいう人は天分なんてものはものは分からず、一生非正規労働者として生きていくしかないんだろうなと思ったものである。まあバカはバカなりに生きるしかないので致し方ないのであるが・・・。
唐突であるがウチの弟は現在アメリカに単身赴任中だ。一部上場企業でこのたび部長に就任したそうだ。片や俺、底辺の俺は世の中の「隙」をついて食いつないでいる(もちろん合法だ)。俺は天分を弁えているつもりであるから、この隙間で稼ぐことに対して別に恥とも思っていないし、負け惜しみでもなんでもなく弟に対して引け目を感じてもいない。それぞれの道を歩み、与えられた天分の中で働く、親はどう思っているかは知らんが少なくとも俺は満足している。
いつも言うように俺の意見や考え方が正しいというつもりは毛頭ない。あくまでも俺はそう思うというだけであり、同意を得ようとか、強要しようというつもりはない。
ただ、分を弁えず消えていった人間を数多く知っている。職業柄、中小企業の社長さんと付き合いは多いが、消えていった人って殆どが分を超えたことをして失敗した人ばかりだ。
本業はうまくいって大成功、二号店を出す、或いは別な事業に手を出す、躓くときって得てしてこういう時。結果論かもしれないが、本業で満足できるだけの収入を得ているのであれば無理せずそれでいいのにと思う。事業家が幅広く事業展開したくなるのは気持ちとして分かるのだが、身の丈を超えてしまうと必ず破たんする。こうなると大抵は広げた方だけでなく、順調に運営されていた旗艦店もほころびが生じて破たんする。
孫子の兵法が好きでよく読んでいるのだが、孫子に書いてあるのは突き詰めると、「不敗」である。決して必勝ではない。いかにして守りを固め、負けないようにするかを記してあるのだと思う。
自分はなにかするとき、必ず負けるという前提で物事を考える。負けてもゼロなら勝負を仕掛けるが、再起不能になるのであれば勝負は避ける。こうしておけば分を超えることはなく効率よく勝負ができる。
只今、「ヒトラーの正体 (小学館新書) ・舛添 要一・著」という本を読んでいるのですが、ヒトラーも分を間違えてしまった典型(ついでに言うと著者の舛添氏も、笑)。
ホロコーストは別にして、ヒトラー自身は大変優秀な政治家であった。既婚女性には働かず専業主婦を奨励するなど、数字のレトリックはあったにせよ、失業率40%という驚異的な数字を、ヒトラーはわずか4年という短期間でなんと3%にまで低下させ、インフレで喘ぐドイツ経済を見事立て直した。オーストリアを併合して領土を拡大したあたりまでで止めておけばヒトラーは間違いなく名宰相としてドイツ史に名を残したはずである。
結果論かもしれないが、ソ連を征服して、イギリスを支配下に置くなんてことは完全にドイツの分を超えてしまっている。
これは旧日本軍も同様。国力を比較したとき、どう転んでもアメリカに敵うはすがないのだ。
人には与えられた天分というものがある。
その天分を決して超えてはいけないというのが俺の人生哲学。
現在はインターネットのお陰で情報の民主化が起こり、アイディアそのものにあまり価値がなくなっている。一部の特権階級だけが有益な情報を独占して、自分のような底辺の人間にはなにも享受できないという絶望的な時代とは違う。とりあえず生活するぐらいの富であればインターネットを駆使することによって簡単に情報を得ることが出来る。
先日調べものをするため、図書館に出掛けた。ネットで喰うためにはネットにない情報こそが珠玉であるため、図書館は情報の宝庫であったりする。
俺が行く図書館は新聞の折り込みに入ってくる求人チラシをご丁寧にファイリングして、自由に閲覧できるようにしている。行政のそのサービス自体は雇用促進という観点からもいいと思うのだが、三十代前半の若者がその求人チラシを食い入るように閲覧しているのである。ちなみにこの若者は求人チラシが入る日曜日になると毎週朝一番にチャリで来館して1時間以上チラシとにらめっこしている。少なくとも俺は日曜日に行くたびに見ている。
求人情報なんてチラシを発行している会社であれば同時に自社の運営サイトやIndeedにも掲載されるため、わざわざ紙のチラシを閲覧しなくともスマホで手に入るのだ。タウンワークやバイトルなどの紙媒体をわざわざ貰いに行く必要なんかない。サイト版のタウンワークやバイトルを見れば十分。しかも、一般的にサイト情報は新聞の折り込みよりも早く、ほとんどが前日までにはサイトにアップされている。奴は随分無駄なことをしているなと正直呆れた。恐らくああいう人は天分なんてものはものは分からず、一生非正規労働者として生きていくしかないんだろうなと思ったものである。まあバカはバカなりに生きるしかないので致し方ないのであるが・・・。
唐突であるがウチの弟は現在アメリカに単身赴任中だ。一部上場企業でこのたび部長に就任したそうだ。片や俺、底辺の俺は世の中の「隙」をついて食いつないでいる(もちろん合法だ)。俺は天分を弁えているつもりであるから、この隙間で稼ぐことに対して別に恥とも思っていないし、負け惜しみでもなんでもなく弟に対して引け目を感じてもいない。それぞれの道を歩み、与えられた天分の中で働く、親はどう思っているかは知らんが少なくとも俺は満足している。
いつも言うように俺の意見や考え方が正しいというつもりは毛頭ない。あくまでも俺はそう思うというだけであり、同意を得ようとか、強要しようというつもりはない。
ただ、分を弁えず消えていった人間を数多く知っている。職業柄、中小企業の社長さんと付き合いは多いが、消えていった人って殆どが分を超えたことをして失敗した人ばかりだ。
本業はうまくいって大成功、二号店を出す、或いは別な事業に手を出す、躓くときって得てしてこういう時。結果論かもしれないが、本業で満足できるだけの収入を得ているのであれば無理せずそれでいいのにと思う。事業家が幅広く事業展開したくなるのは気持ちとして分かるのだが、身の丈を超えてしまうと必ず破たんする。こうなると大抵は広げた方だけでなく、順調に運営されていた旗艦店もほころびが生じて破たんする。
孫子の兵法が好きでよく読んでいるのだが、孫子に書いてあるのは突き詰めると、「不敗」である。決して必勝ではない。いかにして守りを固め、負けないようにするかを記してあるのだと思う。
自分はなにかするとき、必ず負けるという前提で物事を考える。負けてもゼロなら勝負を仕掛けるが、再起不能になるのであれば勝負は避ける。こうしておけば分を超えることはなく効率よく勝負ができる。