昨夜の映像の世紀コンサートは実にすばらしかった。終始鳥肌ものであり、大変有意義な、満たされた時間を過ごせたと悦に入った次第であります。人から見れば俺の人生などクソみたいなものではあるだろうけど、好きなコンサートや映画、書籍などに日々触れることが出来て非常に幸せな人生だと思っている。
本日はその幸せについて考えてみたい。
ここ何年もの間、人は何故幸せに生きようとするのかを自分なりに考えているのだが結論から先に言うと未だ答えは出ない。
もちろん感覚的に幸せに生きた方がいいというのは分かるのですが、ではどうして幸せにならなくてはいけないのかという根本的な理由が見つからないのだ。
幸せとは十人十色、百人百様、人それぞれであるが、一つだけ確実に言えることは人が幸せになろうということは誤解を恐れずに言うのであれば地球を破壊することである。
幸せが地球を破壊?なんか、面倒くさい話になってきたぞ(笑)。
では、順を追って説明しますね。
人は子供が生まれたとき、まず親として願うことは「幸せな人生を歩んでほしい」でしょう。或いは子が結婚するときもそう、「幸せな家庭を築いてほしい」であると思う。これっていわゆる無償の愛であり、偽らざるピュアな思いだ。
じゃあ、その幸せとは何か。程度の多寡こそあれど、何不自由のない文化的な生活をして欲しいということだったりします。
幸せは地球を破壊する行為というのはここに掛かってくる。
別に豪邸を建てるとか、高級車に乗らなくとも、人が文化的な生活を営もうとすればするほど地球を犠牲にせざるを得ない。家を建てようと思えば森林を伐採し、車を走らせれば余分な二酸化炭素を大気中に排出して、温暖化の原因にもなる。食事も然り、現実問題完全無農薬の有機野菜のみを食するということは不可能である。野菜や穀物を作る以上、農薬の散布は必須であるし、家畜に関しても農薬を使って育てた飼料を与えるため、完全に化学から切り離して考えるということは不可能だ。
もしかすると車はエコカー、エアコンは使わず夏は扇風機と打ち水だけだというロハスな生活を心がけている人もいるかもしれませんが、エコカーを作るのには大量の電気を使う。電気の大半は言うまでもなく火力か原子力である。また車のベースとなる鉄鉱石は海外からタンカーで運んでくるため、エコカーが出来上がるまでには相当量の化学エネルギーを消費している。そもそもエコカーが走る道路自体、地球を破壊しているではないか。俺からするとエコカーはせいぜいガソリン車よりもマシという程度のものでしかない。
幸せを築くことって突き詰めると「利便性を高める」、これに突き詰めると思うんだわ。
今の地球上の人の営みって利便性を高めていった結果でしかないじゃない。極端な話、戦争だって利便性を高めるための手段でしかない。利便性を高めていなければ未だに人は原始人なみの生活しかしていないはずだ。
何故、人間だけが幸せを感じる必要があるのかということを考えたとき、俺はキリストやヤハウェ(エホバ)を超越した宇宙という唯一神を基準に考えた。地球上のすべての事象には何か意味があるはずであり、人間が幸せに生きることもきっと何か意味があるはずだと、哲学的というよりも科学的に考えてみたのである。
しかし、科学的に考えれば考えるほど人の幸せとは地球の不幸せに他ならないことに気付く。
いや、もちろん、意図的に地球を破壊なんかしてはいないぞというのは分かりますよ。ただ、現実的にはそうでしょって話。
急に雨が降りました、お父さんを駅まで車で送っていきました、この行為自体善意でしかないのだけどガソリンを消費する以上、極めて小さなことであるが地球に負荷をかけているのは事実。勘違いされると困るがなにも俺は人の行いにケチをつけているわけではない。事実を述べているだけ。
もしかすると哲学や宗教では人が幸せに生きる理由というものがきちんと明文化されているのかもしれない。
でも、それって結局のところ、その哲学なり宗教なりの解釈に沿ったご都合主義の域を出ていないでしょう。
そうではなく、人が幸せに生きる理由をもっと科学的に解明できないものかと思うのです。
実はこの、人が幸せになぜ生きなくてはならないのかを考えている人って意外に世の中多く(言い換えれば単なる暇人が多いともいう)、先日面白い説を聞いた。その人が言うには幸せを感じる人が多ければ多いほど地球上の熱量は安定するため、災害等も減る。だから人は幸せになるべきだという説。ちょっと感心した。確かに幸せな人が多ければ多いほど争いも減るであろうから熱量は一定化し易く、温暖化の影響も比較的小さくて済む。なるほど、一理はあるが、だったら初めから人間なんか必要なくねという思いがどうしても拭えず素直に受け入れることが出来なかった。
誰か、アホな俺でも分かるようなぜ人は幸せであるべきかという理由を科学的に説明してくれる人はおらんじゃろうか?
仕方ない、朝鮮総連にもう一度電話してみるか?
別名嫌がらせの電話。