またかよ的な話でございますが・・・
- 2017/03/26
- 21:49
あー、またかよと言われるでしょうが最近益々人嫌いが加速しておりまして・・・。
今年、バレンタインデーに貰った義理チョコはゼロ、もちろん本命もゼロなのですが、この結果が嬉しくて嬉しくて仕方がないのである。いや、言うても去年までは誰からしらからは頂いていたわけですよ、しかし、今年はなんとゼロ、一般的に男なら憂うべき由々しき事態なんでしょうけど、俺にとってはむしろとんでもなく嬉しい出来事だったりします。負け惜しみでもなんでも本当に嬉しいと感じているのだからやっぱり病気なんだと思う。
ここまで女の子と接点を持つのが嫌だと感じるのだから、俺ってもしかしたらホモなんじゃないのかと思ったりするのだが男はもっと嫌なので間違ってもホモではない、単純に人嫌いなのである。
最近行かなくなったとある喫茶店がある。個人経営の店なのであえて名前は出さぬがそこのウェイターさんがとにかくやたらとフレンドリーなのだ。その屈託のない天真爛漫さと男性を虜にするチャーミングな美貌が彼女の魅力であり、彼女を目当てに通うお客様も相当多いと思われるが俺はただコーヒーを飲みたいだけであり、誰とも絡みたくないのだ。おはようございます、いらっしゃいませ、ご注文は何にいたしまょうか、ありがとうございました、他の客はともかく、俺にはその最低限度の言葉だけでいい。こちらはイチイチ余計な口を開きたくないのだ。彼女の神対応に閉口してついぞ行かなくなってしまった。
ただ、誤解をされると困る、いや別に困りはしないか、誤解をされたって構わないが自分自身決してつっけんどんでお高く留まっているつもりはまったくない。むしろ老若男女を問わず、誰に対しても腰が低く、相手がぞんざいな態度をとらない限り、基本的にはいつも明朗快活で大柄な態度をとったりはしない(と思う)。そこらへん演技なのか、素なのか自分でもよく分かっていないのだが相手に対して対応を変えるということはない、相手があからさまな法律違反を犯すとか、常識外れなことを言わない限り、意見に反論することもなく、ニコニコしながらうんうんと頷いて聞いている。
結局塩対応が出来ればいいのだが性格上それも出来ず、自分の当たり障りのない対応も含めて、人と関わることが凄く煩わしく感じるのである。早い話が苦痛。
自分でもなんでこうなってしまったのかと改めて考えてみたのだが、主な原因は離婚してひとり暮らしをするようになったのと特に会話を発しなくとも仕事が出来てしまうというのが大きな要因であり、その要因が元々自分にある素因の起爆剤になってしまったと思っている。
具体的にいうと、離婚するまでは親元を離れたことがなく、家族と暮らしていました。結婚後、というか同棲後は嫁さんが身近にいました。当然、誰かと住んでいれば会話が成立してしまいます。ある意味痴話喧嘩もコミュニケーションの一つだと思うんだよね。それがひとり暮らしするようになり、自分の場合、コミュニケーションがない生活の方が実は心地が好いぞということに気付いてしまったんだよねぇ。家族との会話に幸せを感じることがない代わりに、喧嘩をしてイライラをすることもない。無の境地というべきか、これは禅に通ずるところは・・・、ないな(笑)、そんな仰々しいものではなく、単純に一人でいることの心地好さに目覚めてしまったのです。
仕事もそう。営業や接客と違い、俺の場合、仕事の細かな指示は後々言った言わないの禍根を残さぬよう、原則メールでのやり取りである。直接言葉を発さなくとも成立してしまうだ。なーんだ、わざわざしゃべらなくとも稼げるんじゃねかというのも大きな要因だと思う。
だから本当にそうなんだけど、孤独感や疎外感を感じているという奴らというのは俺からするとそれってある意味物凄く贅沢な話なんですよ。むしろそんなデリシャスな感覚を大切しないとは、なにをか言わんやだったりする。そもそも肉親や配偶者ならともかく、これを言ったら身も蓋もないが所詮は他人の出来事などどうでもいいのである。24時間テレビを見てうるうるしたって一晩寝れば何事もなかったかのように学校に行ったり、会社に行ったりするわけでしょ。悲惨なのは病気や障害と戦っている当事者とその家族ぐらいなもので、番組を見て、一瞬安っぽい涙を流すことはあっても赤の他人のために私財をなげうって助けてやろうなんて気持ちはこれっぽちもなく、むしろそれが普通の感覚であったりする、だったら余計なことを考えずひとりで人と関わらず気ままに暮らしているほうがよっぽど自分に正直であるという気がするんですよね、俺は。
今年、バレンタインデーに貰った義理チョコはゼロ、もちろん本命もゼロなのですが、この結果が嬉しくて嬉しくて仕方がないのである。いや、言うても去年までは誰からしらからは頂いていたわけですよ、しかし、今年はなんとゼロ、一般的に男なら憂うべき由々しき事態なんでしょうけど、俺にとってはむしろとんでもなく嬉しい出来事だったりします。負け惜しみでもなんでも本当に嬉しいと感じているのだからやっぱり病気なんだと思う。
ここまで女の子と接点を持つのが嫌だと感じるのだから、俺ってもしかしたらホモなんじゃないのかと思ったりするのだが男はもっと嫌なので間違ってもホモではない、単純に人嫌いなのである。
最近行かなくなったとある喫茶店がある。個人経営の店なのであえて名前は出さぬがそこのウェイターさんがとにかくやたらとフレンドリーなのだ。その屈託のない天真爛漫さと男性を虜にするチャーミングな美貌が彼女の魅力であり、彼女を目当てに通うお客様も相当多いと思われるが俺はただコーヒーを飲みたいだけであり、誰とも絡みたくないのだ。おはようございます、いらっしゃいませ、ご注文は何にいたしまょうか、ありがとうございました、他の客はともかく、俺にはその最低限度の言葉だけでいい。こちらはイチイチ余計な口を開きたくないのだ。彼女の神対応に閉口してついぞ行かなくなってしまった。
ただ、誤解をされると困る、いや別に困りはしないか、誤解をされたって構わないが自分自身決してつっけんどんでお高く留まっているつもりはまったくない。むしろ老若男女を問わず、誰に対しても腰が低く、相手がぞんざいな態度をとらない限り、基本的にはいつも明朗快活で大柄な態度をとったりはしない(と思う)。そこらへん演技なのか、素なのか自分でもよく分かっていないのだが相手に対して対応を変えるということはない、相手があからさまな法律違反を犯すとか、常識外れなことを言わない限り、意見に反論することもなく、ニコニコしながらうんうんと頷いて聞いている。
結局塩対応が出来ればいいのだが性格上それも出来ず、自分の当たり障りのない対応も含めて、人と関わることが凄く煩わしく感じるのである。早い話が苦痛。
自分でもなんでこうなってしまったのかと改めて考えてみたのだが、主な原因は離婚してひとり暮らしをするようになったのと特に会話を発しなくとも仕事が出来てしまうというのが大きな要因であり、その要因が元々自分にある素因の起爆剤になってしまったと思っている。
具体的にいうと、離婚するまでは親元を離れたことがなく、家族と暮らしていました。結婚後、というか同棲後は嫁さんが身近にいました。当然、誰かと住んでいれば会話が成立してしまいます。ある意味痴話喧嘩もコミュニケーションの一つだと思うんだよね。それがひとり暮らしするようになり、自分の場合、コミュニケーションがない生活の方が実は心地が好いぞということに気付いてしまったんだよねぇ。家族との会話に幸せを感じることがない代わりに、喧嘩をしてイライラをすることもない。無の境地というべきか、これは禅に通ずるところは・・・、ないな(笑)、そんな仰々しいものではなく、単純に一人でいることの心地好さに目覚めてしまったのです。
仕事もそう。営業や接客と違い、俺の場合、仕事の細かな指示は後々言った言わないの禍根を残さぬよう、原則メールでのやり取りである。直接言葉を発さなくとも成立してしまうだ。なーんだ、わざわざしゃべらなくとも稼げるんじゃねかというのも大きな要因だと思う。
だから本当にそうなんだけど、孤独感や疎外感を感じているという奴らというのは俺からするとそれってある意味物凄く贅沢な話なんですよ。むしろそんなデリシャスな感覚を大切しないとは、なにをか言わんやだったりする。そもそも肉親や配偶者ならともかく、これを言ったら身も蓋もないが所詮は他人の出来事などどうでもいいのである。24時間テレビを見てうるうるしたって一晩寝れば何事もなかったかのように学校に行ったり、会社に行ったりするわけでしょ。悲惨なのは病気や障害と戦っている当事者とその家族ぐらいなもので、番組を見て、一瞬安っぽい涙を流すことはあっても赤の他人のために私財をなげうって助けてやろうなんて気持ちはこれっぽちもなく、むしろそれが普通の感覚であったりする、だったら余計なことを考えずひとりで人と関わらず気ままに暮らしているほうがよっぽど自分に正直であるという気がするんですよね、俺は。