ソーシャルネットワークサービスと友人との関係
- 2015/12/06
- 20:21
最近、SNSで繋がることがブームじゃないですか、フェイスブックやツイッター、ミクシィなどで人と繋がりを持つことを大事にする風潮っていうのか、正直あれ、相当寒いし気持ち悪いと思っている。
あくまでも俺の感覚な、友人にも色々ランクがあり、実際問題、友人といえるのは金の問題が生じたとき、金を出せるか、出せないかだと思うのね。三段階に分けてみる。
まず一段階目は酒飲みや食事に行って、今日は俺が持つよと適度に散財してくれるのがいわゆる友人と呼べるレベル(もちろんこっちも適度に歓待する)。
次に親の入院費用がどうしても足りないとか、雇っているアルバイトに支払う給料が足りないとか、割りと切実に困ったとき、20万とか、30万とか、それなりにまとまった金を貸してくれるのが単なる友人の上のレベル。これはもう親友と呼んで差し支えないと思う。20万といえばサラリーマンが一ヶ月働いてやっと手に入れられる大金だ、友情という実態のないものを担保にその大金を貸すのだ、そこまでしてくれる人を親友と呼ばずして何をか言わんや。このレベルの友人を持っている人は幸せだと思う。
さらにそれ以上である数百万円単位の金を督促なしで貸してくれたり、或いは臓器移植が必要になったとき、腎臓や骨髄液を我が身を省みず、快く提供してくれる関係、ここまでくると親友という呼び方を超越し、任侠映画の世界じゃないがもう義兄弟と呼んでいいレベルだと思う。親の血を引く兄弟よりも、固い契りの義兄弟だ。
金で友人との関係を推し量るとは一見すると、実にとんでもない考え方かもしれないが少なくとも日本国内に於いては命から数えて二番目に大切なのは金だ、その大切な金をどの程度融通出来るかが友人との関係を計測する尺度として考えるのはあながち間違っていないと思う。
それでだ、SNSで繋がりを強調する連中に聞きたいのはいったいどれくらいのランクの人間を友人だと思っているのですかということ。あなたがなんらかで窮地に立たされたとき、金を融通してくれる人は果たしてどれぐらいいるのですかと問いたい。弁護士に相談しろとか、警察に行けなんてことは誰でも言えるのです。人間生きてりゃ切羽詰った状況ってあるじゃない、そんなときにあなたが「いいね」を押した友人と呼んでいる人間はいったいどう行動するのですかということが知りたいのだ。
もちろん、借金を頼むには普段の行いがものを言うのは当然だ。博打を打ったり、女遊びを散々しといて、金がなくなっちゃったじゃ、そんなもの誰だって貸したくない。あえて諌めるため、心を鬼にしてそっぽを向くことも友人として大切な役割だと思う。
そうじゃなく、本当に必死に生きているのだけれど、何かアクシデントが起きてしまい、どうしても金が足りなくなってしまうということがあると思う。「いいね」を押した友人はポンとこれを遣えやと金を出してくれるんですかねぇ。
結局、肝心なところってここじゃない?
WEB上で繋がり、写真を見て「いいね」を押せばいかにも有意義な関係を築いているような錯覚に陥るがそんなものはすべて妄想ですから、ええ。中高生ならまだ分かるんだけど、いい大人が金の関係もなしに友人を語るなんて片腹イテェやバカヤロウと思ってしまうんですよねぇ。
「いいね」が元で友人の和が広がり、食事会をして、記念撮影をしたその様子をブログにアップする。当人たちはとても満たされた気持ちになるのでしょうけど、いざ、その中の誰かが金に困ってもシカトしてそいつのLINEをブロックすんのが関の山なんじゃないの。
まあね、それが今の世の中の友人事情だと言われれば返す言葉はないし、俺とは無縁な世界だからどうでもいいのですが少なくとも俺の場合、何人かは本気で金に困ったらなんとかしてくれると思う。これは自慢していいと思う。
別に金を中心に物事を考えているわけではまったくない。心構えの問題だ。俺は親友と呼べる人間が困ったら俺はそいつのために臓器は上げられなくとも最低限何がしかの金は用意する。そういう心構えのあるなしがWEB上の関係には見えないので疑問だといっている。
だからといって今金の無心をされても困るわけですが(笑)。
あくまでも俺の感覚な、友人にも色々ランクがあり、実際問題、友人といえるのは金の問題が生じたとき、金を出せるか、出せないかだと思うのね。三段階に分けてみる。
まず一段階目は酒飲みや食事に行って、今日は俺が持つよと適度に散財してくれるのがいわゆる友人と呼べるレベル(もちろんこっちも適度に歓待する)。
次に親の入院費用がどうしても足りないとか、雇っているアルバイトに支払う給料が足りないとか、割りと切実に困ったとき、20万とか、30万とか、それなりにまとまった金を貸してくれるのが単なる友人の上のレベル。これはもう親友と呼んで差し支えないと思う。20万といえばサラリーマンが一ヶ月働いてやっと手に入れられる大金だ、友情という実態のないものを担保にその大金を貸すのだ、そこまでしてくれる人を親友と呼ばずして何をか言わんや。このレベルの友人を持っている人は幸せだと思う。
さらにそれ以上である数百万円単位の金を督促なしで貸してくれたり、或いは臓器移植が必要になったとき、腎臓や骨髄液を我が身を省みず、快く提供してくれる関係、ここまでくると親友という呼び方を超越し、任侠映画の世界じゃないがもう義兄弟と呼んでいいレベルだと思う。親の血を引く兄弟よりも、固い契りの義兄弟だ。
金で友人との関係を推し量るとは一見すると、実にとんでもない考え方かもしれないが少なくとも日本国内に於いては命から数えて二番目に大切なのは金だ、その大切な金をどの程度融通出来るかが友人との関係を計測する尺度として考えるのはあながち間違っていないと思う。
それでだ、SNSで繋がりを強調する連中に聞きたいのはいったいどれくらいのランクの人間を友人だと思っているのですかということ。あなたがなんらかで窮地に立たされたとき、金を融通してくれる人は果たしてどれぐらいいるのですかと問いたい。弁護士に相談しろとか、警察に行けなんてことは誰でも言えるのです。人間生きてりゃ切羽詰った状況ってあるじゃない、そんなときにあなたが「いいね」を押した友人と呼んでいる人間はいったいどう行動するのですかということが知りたいのだ。
もちろん、借金を頼むには普段の行いがものを言うのは当然だ。博打を打ったり、女遊びを散々しといて、金がなくなっちゃったじゃ、そんなもの誰だって貸したくない。あえて諌めるため、心を鬼にしてそっぽを向くことも友人として大切な役割だと思う。
そうじゃなく、本当に必死に生きているのだけれど、何かアクシデントが起きてしまい、どうしても金が足りなくなってしまうということがあると思う。「いいね」を押した友人はポンとこれを遣えやと金を出してくれるんですかねぇ。
結局、肝心なところってここじゃない?
WEB上で繋がり、写真を見て「いいね」を押せばいかにも有意義な関係を築いているような錯覚に陥るがそんなものはすべて妄想ですから、ええ。中高生ならまだ分かるんだけど、いい大人が金の関係もなしに友人を語るなんて片腹イテェやバカヤロウと思ってしまうんですよねぇ。
「いいね」が元で友人の和が広がり、食事会をして、記念撮影をしたその様子をブログにアップする。当人たちはとても満たされた気持ちになるのでしょうけど、いざ、その中の誰かが金に困ってもシカトしてそいつのLINEをブロックすんのが関の山なんじゃないの。
まあね、それが今の世の中の友人事情だと言われれば返す言葉はないし、俺とは無縁な世界だからどうでもいいのですが少なくとも俺の場合、何人かは本気で金に困ったらなんとかしてくれると思う。これは自慢していいと思う。
別に金を中心に物事を考えているわけではまったくない。心構えの問題だ。俺は親友と呼べる人間が困ったら俺はそいつのために臓器は上げられなくとも最低限何がしかの金は用意する。そういう心構えのあるなしがWEB上の関係には見えないので疑問だといっている。
だからといって今金の無心をされても困るわけですが(笑)。