あまり仕事のことは触れてはいないがおかげ様で最近かなり好調、実は多くの案件を抱えている。
当然自分だけでは消化しきれないため、外部の人に頼めるところは頼もうと思い、ネット(クリエイター募集のサイトがある)で外注スタッフを募集したところ、来るのはまあいかにも仕事の出来なそうな奴ばかり。
俺より出来ない奴じゃわざわざ頼む価値ねぇだろうよ、たわけどもめが。これがもし見処のある奴を従業員として育てていくのであれば多少のことは目を瞑り、長い目で見ていくが単発で仕事を頼む場合、基準はあくまでも技量があるかないか。ただその一点。
ああいうサイトでわたくし目に是非御社の仕事をやらせてくださいましぃ~ってすり寄ってくる連中って基本駄目な。まあ駄目だからこそ仕事を自ら得ることが出来ず、落とされた釣り針を見つけては必死に俺に食わせろ、いや俺が食うんだ、寄越せよ、この野郎、って底辺同士で仲良く競い合っているのでしょうけども。しょうもな~。
その点俺の営業はホムペと紹介のみ。こっちから営業をしたりはしない。だから商談も楽、売り込みなんかせず、納期をいつにするか、デザインをどんなふうにするかを打ち合せをするだけだ。しょうがない、だってなんのかんのいって俺は才能があるんだもん、がはははっ。
何故、本日こんなくそ生意気なことを書いたのかといいますと、四年前、俺はまだパソコンスクールに通っていた学生に過ぎなかったわけですよ。
そのペーペーが四年も経つとそれなりに喰えるようになった。
もちろん、俺だって全然まだまだであり、未だ修行中の身、四苦八苦の毎日だ、それでも是非あなたにお願いしたいと頼られることが多くなり、四年前の俺と比べて今の俺はかなり成長したと思う(人間性じゃなく技術がな)。
何で読んだのかちょっと忘れてしまったけど、ある成功した人が語っていたことが今でも深く印象に残っている。たいていのことは1万時間費やすとそれなりに出来るようになるんだって。
なるほど、その通りだと思った。
俺の場合、1日10時間パソコンと睨めっこするとして一年で凡そ3500時間、それをかれこれ四年ですからだいたい1万3000時間、件の1万時間マスター論に合致する。
もちろん、何事にも向き不向きがあり、限界はあるが、人並み程度に喰えるようになるために費やす1万時間という数字は実体験からも明らかだ。
そう考えると震災から四年、つらいこと、苦しいことが山ほどあったとしても乗り越えるには長すぎず、短すぎずちょうどいい時間のような気がする。
そりゃあ俺だって本音をいえば美大にでも通って基礎からデザインとはなんたるかを学びたかったさ。でも呑気に美大に通えるほどのそんな金もなけりゃ、時間もない。いつも言うようにないものは仕方ねぇじゃん。だったら出来ることからやるしかない。そうしてコツコツと費やした時間が1万時間あって今がある。
被災地で文句ばっかたれている奴はこの四年間なにか努力をしたのか?
努力をしない奴は犬畜生よりも劣る。
動物は喰うために皆必死に生きている。おかれた環境に文句をいった瞬間、他の動物に喰われて死んでしまうため、野性動物に甘えは許されない。
被災者というだけで甘えが許される時間はもう過ぎた。
とはいえ、受けた心の傷は一生消えないままかもしれない。その深い悲しみを無理して消す必要はない。泣きたいときは思いっきり泣けばいい。
ただ、つらくとも前に進まなきゃ死んだ人も浮かばれない。俺はそれが最大の供養だと思います。
供養とは墓前に花を供え、手を合わせることではない。毎日線香をあげ、どんなに墓参りをしようとも、結局生き残った本人が無様な生き方してりゃあ死んだ人は浮かばれない。
それを分かってて出来ない奴は単なる怠け者、犠牲者をネタにしてるだけの大バカ野郎だ、議論の余地なし。思ったらまずは励め、そしていけそうだと思ったら1万時間費やせ、きっと道は開ける。
泣いてもいいが泣き言は言うんじゃねぇぞ、この野郎。