最近はラジオを聴きながら仕事をしている。もっぱら聴くのは茨城放送だ。
スマホにスピーカーを接続して聴いているのだが『ラジコ』で聴くとAMであってもクリアな音で聴けるのでとても嬉しい。以前はPCからも聴けたのだが現在PC版では茨城放送は聴けなくなってしまった。金を払い、プレミアム会員になれば聴けるのだがスマホからなら無料で聴けるのでスマホから聴いている(スマホが聴けなくなれば金を払うが)。
基本的にテレビは嫌いだがラジオは大好きだ。
ちなみにテレビだがなんと今週一回もスイッチを入れていない。先週官兵衛の最終回を見て以来、一度もテレビを見ていないのである。
テレビって面白い、面白くない以前に情報も展開も遅すぎて非常に疲れる。
若者のテレビ離れが進み、視聴率低下が声高に叫ばれる昨今だが、俺が思うに、視聴率の低下はネットのスピードに慣れすぎてしまい、若い世代は展開の遅さに辟易しているということが一番の原因なんじゃないかと思う。
例えばニュースを見たいとする。
ヤフーのトップページを見て気になるニュースだけをピックアップして自分のペースで読めばいい。
しかしながらテレビの宿命なのだが興味の有る無しを問わず、強制的にテレビ局側のスピードで押しつけられる。あれがもどかしい。
経済や政治しか興味ない人にとっては交通事故や殺人事件などどうでもいいこと、だが、チャンネルを変えない限り、無理矢理見させられる。正直うざい。順番もそうなのだ。まずは交通事故や殺人事件を知りたいのに政治経済を見せられる。ヤキモキする。
そして情報伝達スピードが遅いのも致命的だ。スマホやパソコンであればほぼリアルタイムで情報を手に入れられる。どうしてもテレビだと、よほど緊急性のあるニュース以外は基本的に定刻での情報伝達になる。
だいたい、テレビニュースを見る時にはすでに殆どのニュースの顛末を知り終えているのだ。ゼロとまでは言わないがこれじゃあ見る価値などない。
この情報伝達の遅さはニュース以外の他の娯楽番組にも相通ずる。
CMを挟んだり、ゲストのコメントが入ったりしてして、視聴者はこの先どうなるかを知りたいのに散々引っ張られる。そしていざ、CMが終わり、よしどうなると思うと、またCMの前のおさらいが入る。
その上、これはテレビ局の怠慢なのだが『世界びっくり映像特集!』的な番組の大半はYouTubeで前以て見られるものがほとんど、しかも、『衝撃の』とは名ばかりであり、線路に落ちた人や交通事故に巻き込まれた人の映像は『奇跡的に無傷(もしくは軽傷)で済んだ』ので結ぶのが最近のテレビなのである。
死亡映像は放送できないため、基本的にテレビ局は安全牌しか投げない。
散々ネットで本物の衝撃映像見ているとテレビで流れる衝撃映像など稚拙過ぎてくだらない。
だったら見るなよという話になると思う。
うん、だから見ない。
それではラジオのいいところだ、ラジオも情報伝達の遅滞性はテレビと同様なのだが音だけであるからテレビと違い、自分の空間にはさほど入ってこない。
映像がない分、目は作業に集中できるため、作業を邪魔されずに済むのだ。
自分達の仕事は目を使う。対して耳はあまりというか、ほぼ使わない。
手持ち無沙汰な耳から入ってくる情報は単調化しやすい作業のアクセントとなって実に心地よい。単純な打ち込み作業をしている時など、ラジオのリズムが却って作業効率を上げることもしばしばだ。
もっとも本当にクリエイティブな仕事をする時はラジオを切り、全身全霊、作業に集中する。
だから昨日はラジオを切りクリエイティブに集中した。
その結果がサザエさんであり年賀状である。